『踊』を自分勝手に解釈してみた

 

さて、前回に引き続きAdoさんの曲を考察・解釈していきます。

公開からかなり時間が経ちましたが、まだまだランキング上位にいるこちら↓↓

 


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「踊」

NHK総合「夜光音楽 ボカロP 5min.」テーマソングでもあるこの曲。「うっせぇわ」で一躍時の人となったAdo氏がボーカルを務めており、彼女の音域の広さと力強さを体現したような作品です。

そして、特筆すべき点は、やはりその豪華メンバー。Giga氏やTeddyLoid氏が作曲・編曲を、DECO*27氏が作詞を手掛ける、ボカロ好きにはたまらないチーム作品となっています。

この豪華な曲に映像を合わせるのは、かゆか氏や藍瀬 まなみ氏(Image Director:ORIHARA氏)。かっこよすぎる配色とデザインで、盛り上がること間違いなしと言って過言ではないでしょう。

 

ということで今回は、このどちゃくそかっこいい曲について、私なりに考察・解釈していくことにします。

すこしでも楽しんでいただければ幸いです。 

 

 

 

以下、歌詞は「踊(Lyrics:DECO*27 Music & Arrange:Giga・TeddyLoid)」より引用しています。

 

1. 全体の構成

 

結論から言えば、本作は「エンターテイメントから本気の勝負への変遷」を表してると考えられる。

 

まず、本作の映像は一見ボクシングのようにも見えるが、リンクのロープが3本であること、二―パッドやレガースを装着していることなどからプロレスであることが予想される。

ボクシングとプロレスの違いは、ボクシングがスポーツであるのに対し、プロレスは興行、つまりエンターテイメントであるという点である。

また、歌詞には「開演」や「暗転」などの用語が使用されていることから、このリンクは勝負の場ではなく舞台、要するにエンターテイメントの舞台だということが示されている。

 

そして、エンターテイメントの相手というのは、敵ではなく「観客」である。

しかし、このリンクの外側にある観客席に客は誰一人として居ない。居るのは主人公の周りを飛ぶドローンカメラ、つまり、画面越しに(SNSなど通して)主人公を観察する人々だ。

この曲には「暗転パーティ」という戦いの場が二回あるのだがそれぞれの描写は異なり、「主人公がカメラとともに勝ち上がっていく」という描写(一回目)から、「主人公がカメラを壊すことで勝利を収める」という描写(二回目)に変わる。

つまり、この曲は、カメラを壊すことで、

 

画面越しの観客を喜ばせるエンターテイメントから観客のいない真剣勝負へと変化した

 

ということを意味しているととれる。

 

 

2. 「ひとり」から「みんな」へ

半端なら K.O. ふわふわしたいならどうぞ
開演準備しちゃおうか 泣いても笑っても愛してね
ほら Say No 低音響かせろ

ここの歌詞からは、この世界がどういうものなのかを推測することができる。

K.O.(ノックアウト)とは、再起不能でやられてしまうということ。

そして、次の「ふわふわ」とはおそらく、ノックアウトされた際に気を失う直前の意識がぼんやりとした状態のことを言っているのではないだろうか。

このことから、この主人公の生きる世界は、半端な状態の人間はすぐさまノックアウトされるような、白黒明瞭な場所であるといえる。

さらに、「泣いても笑っても愛してね」に対し、次の歌詞は「Say No」。どんな状態でも愛してほしいという願いに対し、答えは「No」というわけである。

つまり、何をしても何をせずとも愛されるような、慈愛など無い場所なのである。

 

なんだかな…ってつまんないこともあるでしょう
ロンリー論理のノート ハンディー本気脱走
やんなっちゃって泥に Bad ご法度だろうが溺れて堕ちて そろそろいっか

この部分では、主人公の当初の状態を示している。

「ロンリー論理のノート」「ハンディ―本気脱走」

これらの用語から想定されるのは、自分のみの論理をぶちまけることのできる場所、そして、お手軽(ハンディ―)に世間から逃げ出すことができる場所。

つまり、匿名でなんでもできるツイッターのようなSNSを表していると思える。

 

「泥にBad」

ここの歌詞では、何もかもがいやになり、地に堕ちる様を表していると思われる。

また、面白いことに、ここの「泥」は、聞き方次第で「ドロー(draw)」にも聞こえる。「ドロー」という用語は、主に「引き分け」という意味で使われるが、その語源は以下の通りだ。

”スポーツ用語としてのドローの始まりは競馬である。意味は,競走馬を競馬場から引き上げさせて勝負の決着をつけない,つまり,〈無勝負〉ということにある。これが転じて〈引分け〉となった。”

コトバンクより引用

つまり、ここまで主人公は、勝負をしない、勝負とは関係のない生活を送っているといえるわけだ。

しかし、そういったぬるま湯の状態にも「そろそろいっか」と次の準備をする。

そう、勝負の準備である。

 

 

3.「みんな」の力で「暗転パーティー」

もっと頑張って アガるまでもっと頑張って
繋がろうひとりよりふたり 増えたら安心 心配ないや

Alright 任せて Don’t Mind
波あり難題 みんなで乗っかっちゃえば
案外さくっと行っちゃいそう

前の「Buffering(初期のデータ読み込み)」の場面が終了し、主人公はリンクに立つ。

「増えたら安心 心配ないや」で映し出されるドローンカメラは、おそらくSNS上でつながっている存在を表しているのだろう。そのようなカメラが主人公の後方にいるということは、フォロワーのような仲間と一緒に戦う(または問題を解決する)ことを示していると予想される。

人に応援されるということは、とても励みになるものだ。SNSでも「いいね」がもらえればうれしいものだし、いいコメントがもらえれば活動の促進につながる。

このような仲間が増えることで主人公は自信をつけ、どんな難題も「案外さくっと解決できそう」と言っているのだ。

 

半端なら K.O. ふわふわしたいならどうぞ
開演準備しちゃおうか 泣いても笑っても愛してね
ほら Say No 低音響かせろ

仲間を増やし、自信を得た主人公は、勝負の時に移る。

そこで起こることは、「暗転」だ。

 

今宵は暗転パーティー
Woah 踊りだせ 踊りだせ 孤独は殺菌 満員御礼
Woah 痛みまで おシェアで ここらでバイバイ Let go

「暗転」とは、舞台の幕を下ろさずに暗くすることで場面変更を行うことで、そこから転じて状況が暗い方向へ変化することを意味する。

上にも述べたように、プロレスは、観客へ見せることを目的としたものである。そして、「踊る」という行為は、舞台で人に見せるもの。そして、他人に操られて行動する、という意味も持つ。

また、「痛みまでおシェアで」で映し出されるのは「いいね」の逆の記号、さらに続くのは「バイバイ」と「let go(手放す)」という用語。

 

これらの言葉から推測される状況は、誰かを盛り上げ(「アガるまで頑張って」)、観察する人を増やしたところで(「孤独は殺菌 満員御礼」)、叩いて非難し(殴る映像、「勝負」)、そのように誰かが踊らされている様を見て楽しみ(「痛みまでおシェアで」)、飽きる(「ここらでバイバイ、let go」)というものだ。

 

まるで、SNSにおける「炎上」や「祭り」のような構図となっており、その全体の流れをSNS上のエンターテイメントとして楽しんでいるようである。

 

そして、この場面での「誰か」は、対戦相手となっている赤い人物だ。

 

 

4. 本音という失言

どんな劣等感だとて 即興の血小板で
抑え込んで 突っ込んで 仕舞っちゃうでしょ

血小板は、ケガをした際に活躍する細胞で、傷口にすぐさま集まり、互いにくっつき、流血を止める働きをする。

ここで使われている「血小板」という言葉は、SNSなどの「炎上」や「祭り」で、人の失言などに不特定多数の人間が集まることを例えているといえる。

 

Up and down なテンション
ねえまいっちゃってんの相当
ドバっと噴き出すのは 本音の独り言

「別に興味ない」
「特に関係ない」
塞ぎ込んで 舌鋒絶頂へ

しかし、ドローンカメラとともに「誰か」と戦ってきた(叩いてきた)主人公も、そのような「祭り」でのテンションの上下の激しさに疲れを見せ始める。

そして、今まで仕舞いこんできたきた本音が、とうとう口をついて出たのだろう。

「別に興味ない」「特に関係ない」

この言葉を皮切りに、主人公の「独り言」は鋭さ(舌鋒)を増していく。

この際、主人公の後ろには対戦した赤い人物が描かれている。この赤色は、主人公が着ている服の内側の色でもある。これは、赤い服を着た人物が、内側の本音を出した主人公と同じ立場であることを示唆しているのかもしれない。

要するに、主人公の「本音の独り言」はおそらく「失言」となってしまい、彼女は叩かれていた赤い人物と同じ立ち位置になったのだろう。

 

つまり、この場面での「誰か」は、主人公である。

 

合図を奏でて PrrPrrPrr
ほら集まって夜行だ 鳴いていこう

「Prrr」

歌う前の練習には、このような音を出して唇の運動をするリップ練習というものがある。これは、これから行われる非難や誹謗中傷といった鋭い言葉を言うための準備運動なのだろう。

 

そしてこの準備運動をしているのは、この映像における「ドローンカメラ」だ。

 

映像から、カメラの背面に「メ」という文字が描かれているのがわかるだろうか。この「メ」はたった一文字だが、様々なことを暗に示していると思われる。

例えば、「メ」は単純に読めば「眼」ともとれる。つまり、誰かを観察する「眼」だ。

また、「メ」というカタカナは2や5という数字の異称でもあり、ここから連想されるSNSは2ちゃんねるや5ちゃんねるである。

さらに、「メ」という文字は、鳥の名称(古名)において小鳥やその群れをあらわす用語であり、小鳥のモチーフとするツイッターや、ドローンの飛んでいる様子・それらが群れて行動する様子も示しているのだろう。

加えて、「メ」は「女(め)」の一部をとったものでもあるため、同調圧力が強く集団行動の多い女性的な部分も暗示しているのかもしれない。

 

この「メ」を持ったカメラは、誰かの合図をきっかけに集まり、そして凶器のような言葉を鳴いて、小鳥のようにモビング(敵に対し集団で追い払おうとする行為)をするのだろう。

「夜行」という言葉は、夜遅くに活動することの多いネット住民のことを言っているともとれるが、どちらかというと「闇に紛れて行動する」、つまり、「匿名で行動する」ということを指していると思われる。

このカメラたちが行うことは、失言をした人物に対する「匿名での言葉によるモビング」だといえる。

 

そして、「メ」にはもうひとつ、暗示しうるものがある。「メ」はローマ字で「me」。

つまり、「自分」だ。

この場面では、「主人公が立っている」映像のあと、画面が点滅し、「主人公の立っている位置にカメラが一台飛んでいる」という状況が映し出される。

したがって、主人公もまた「匿名での言葉によるモビング」をするカメラの一つであったといえる。

しかしながら、次のレーダー画面のような映像から、主人公の立場は「本音の独り言(失言)」で一変したことがわかる。

レーダーとは、電波などを発射して、その反射から「もの」のありかを探すためのものだ。そして、戦いの場面で用いられるレーダーが示す「もの」は、「敵の存在」である。

赤い人物の対戦場面(一つ前のサビ)でも同じようにレーダーの画面が出てきていたが、その際には中央に「勝負」という文字が書かれていただけで、人間やカメラは存在していなかった。それは、主人公にとってその場が、敵の存在しない「勝負」というエンターテイメントだったからだろう。

しかしこの場面では、多数のカメラが存在し、主人公のいる中心を取り囲んでいる。

つまり、叩かれる側の主人公は、敵に囲まれた四面楚歌の状態に陥ってしまったのだ。

 

 

5. リアルな真剣勝負の世界へ

半端なら K.O.


Woah 踊りだせ 踊りだせ 孤独は殺菌 満員御礼
Woah 痛みまで おシェアで 今宵も暗転パーティーだ
Woah またのお越しを きっと
Woah 次回までお元気で ここらでバイバイ Let go

 

「半端ならK.O.」

この部分では、塞ぎ込んでいた主人公が立ちあがるという映像となっている。

この塞ぎ込んでいる主人公の左手小指には、他の指とは異なる赤いネイル(他の指は黒)と指輪がはめられている。左手の小指には、 「今の環境から抜け出す」「チャンスをつかむ」といった意味があり、これから起こる変化の象徴だといえるだろう。

そして次の映像は、大胆不敵な様子でこちらを見下ろす主人公。その彼女の右手の親指には、他の指と違う赤いネイルが塗られている。右手の親指には「主導権を握る」という意味があり、ここでは、叩かれる側だった彼女が立ち上がり、戦いの主導権を握ったと解釈できるのだ。

 

これを可能としたのは何か。

実は、彼女はただ立ち上がっただけではない。

ここでは、これまで画面に出ていた液晶ノイズ風エフェクトがなくなる画面が割れる砂嵐という演出がなされており、次の瞬間、私たちはより鮮明な、リアルな主人公と対面することになる。

つまり、主人公は自分自身のカメラを壊し、自分自身をさらけ出して戦うことにしたのだ。

 

さらに、この場面に続いて、彼女は周りを囲んでいたカメラをすべて壊していく。

そこから続く歌詞は、「今宵も暗転パーティーだ」である。

一回目の「暗転パーティー」では、人間の「暗転」を楽しむという「エンターテイメント」だった。

この一回目での主人公の顔が映された画面では、この「暗転パーティー」という文字がまるで字幕のように映像の下部分に埋め込まれていたが、ここでは違う。

彼女自身の映像の上に「暗転パーティー」という文字が描かれ、「暗転」の部分が「■■」で、「パーティー」の部分が「☆☆☆☆☆」で上塗りされている。

つまり、この場面は彼女の「暗転」を示すものでも、「エンターテイメントであるパーティー」でもない。そして、カメラという「観客」に見せるためのものでもない。

 

彼女自身の「リアル」がまさに描かれているのだ

 

 

6. 私たちまでがエンターテイメントなのかもしれない

さて、ここまで「踊」という曲を私なりに解釈してきた。

その結論は、この曲が「主人公がエンターテイメントから抜け出し、リアルな世界で戦い始めた物語」を示しているというものだ。

しかしながら、この曲を考える上で、見過ごせない部分がある。

それが、「間奏」だ。

 

間奏(一回目と二回目)

この曲の一回目の間奏では、主人公が映る映像を眺めるための椅子がある。これはおそらく、彼女をドローンカメラの画面越しに観察する人間たち(以下、観察部屋①)を意味しているのだろう。

その一方で、二回目の間奏では観察部屋①もまた、椅子の前の画面に映る(以下、観察部屋②)。つまり、主人公自身だけでなく、彼女を支持したり非難したり傍観する人間すら見られる対象だといえるのだ。

では、この主人公とそれを観察する人々の様子(観察部屋①)をエンターテイメントとして楽しんでいる観察部屋②は誰か。

そう、 画面越しの私たち自身 だ。

そしてさらに恐ろしいことに、観察部屋②の右上に「入力切替」という文字が出て砂嵐が起きるということは、私たちですら、見られる対象であるといえる。

 

Woah またのお越しを きっと
Woah 次回までお元気で ここらでバイバイ Let go

 

そして、この曲の最後では、「またのお越しを」「次回」という言葉が使われており、まるでエンターテイメントが終わった後の挨拶のようである。

ここで、私の脳裏にはある仮説が生まれた。

―――――もしかすると、この作品は、私たち視聴者を含めた一つのエンターテイメントなのではないだろうか?

 

もしそうだとすれば、まったくもって、してやられた気分である。

誰にしてやられたのか?そう、この曲を作った豪華メンバーたちにだ。

つまり、この曲の中で繰り広げられていた「エンターテイメントから抜け出しリアルで戦う主人公」という物語ですら、実は炎上商法のようなエンターテイメントなのだ。

最後に主人公が割った画面、言い換えれば、この主人公をみていた「観客」は、この曲を聴いている私自身である。

したがって、この曲はここに描かれているものだけでなく、それを聴く世間の大きな反響も含めて、大きな一つのエンターテイメントとなっているのだ。

その大きなエンターテイメントを、私たちがこの曲に熱狂する様を、楽しんでいるのは誰なのか?

もはや、言うまでもないだろう。

 

もちろん制作陣がこのような考えで曲を作ったかどうかは定かではない。

だが、もしかすると私は、まんまとこの策略にはまって、踊らされるようにこの曲を何度も聴いているのかもしれない。

 

 

 

 

 

というわけで、「踊」の考察・解釈でした!

想像膨らむ曲なので、ぜひ他の意見などあればお聞かせくださいね。

それではまた。

 

 

 

 

 

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