『ヲズワルド』を自分勝手に解釈してみた

 

ここでは、「煮ル果実」氏の10作目『ヲズワルド』について自分勝手に解釈していきます。

作品↓↓↓

 

とても素晴らしい作品です。WOOMA氏の動画も印象的で、とても引き込まれます。

内容はおそらくディズニーとオズワルドの話をもとにしたのではないか、と勝手に妄想。

このキャラについて調べていくと、様々な歴史があることがわかりました。そしてそのような背景を知っていると、動画を見るたびに感じ方が変わり、何度も見てしまいます。

 

ここでは、動画の場面と歌詞をもとに、自分なりに考察・解釈をしていきたいと思います。

共感していただけたら嬉しいし、自分はこう思うという意見があればぜひ聞きたいです。

 

※以下、歌詞は初音ミクwiki(https://www5.atwiki.jp/hmiku/pages/38944.html)から引用しています。

 

 

動画の最初が示すように、この話は、遊園地(おそらくディズニーリゾート)ができるよりもずっと昔の、オズワルドの話。

 

① オリジナル問題

真夜中見つけたフォークロアは 
その昔人魚を生み出したらしい 
独善的中毒者ジャンキー パパラッチに這い寄るmonkey 
みたいな輩共が悦に浸るため 編まれた物でしょう”
誰彼誰だっけ 
少し褒められ慣れたよう 
曰く先に名乗りさえすりゃあもう 
総てオリジナルなんでしょう 万々歳 
坊主憎けりゃ袈裟けさまで憎い 
パイオニア擬もどきの龕灯がんどう Q.E.D. 

 

最初に出てくる「人魚」とは、おそらく童話「人魚姫」のことではないかと思われる(「フォークロア」は古く伝わる伝承等をいう。)。ウォルト・ディズニーは戦前からこの童話「人魚姫」のアニメ化に興味を持っていたらしく、その後多くの人が知る「リトル・マーメイド」が誕生。これによりディズニー映画の第二黄金期が訪れる。

 

「人魚姫」の原作はご存知の通り、ハンス・クリスチャン・アンデルセンだ。しかしそれと並ぶくらいに、「人魚姫」といえばディズニー、という認識が広がった。

ここでは以下に述べるオズワルドの権利問題がメインに据えられていると思われるが(以下に考察)、もしかすると、このようなディズニーのアニメーションの歴史自体を皮肉っているのかもしれない(ちなみにディズニーはオズワルド誕生の前に著作権問題が起きている)。

 

ここでオズワルドの話に戻る。「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット(しあわせウサギのオズワルド)」はウォルト・ディズニーによって1927年、つまりディズニー代表キャラであるミッキーマウスよりも先に発案されたキャラである。

オズワルドは全米で大人気キャラとなるが、このオズワルドの権利(つまりはオリジナル)をめぐってディズニーと配給元のユニバーサル・ピクチャーズが対立(正確にはミンツが大きく絡んでいるが、ここでは割愛)。生みの親、つまりオズワルドの「お父さん」であるウォルトはオズワルドの権利を失い、オズワルドはユニバーサルの手に渡ってしまう。

 

動画の様子は、誰かが多くの人間に責められているような対図である。この誰かはおそらくウォルトであり、前述のオズワルドの権利(オリジナル)に関する対立を示しているように思われる。

「Q.E.D」とはラテン語の Quod Erat Demonstrandum が略されたもので、証明や議論の終了を示すことば。つまり、動画の「先に名乗りさえすりゃあ」もうオリジナルはそちらのもの、というわけである。

 

② オズワルドのその後

light offしよう やっぱonにしよう 
往々にして 正解にしよう 
延々とやろう もう我がものよ 
飽い 飽い 撒爾沙さるさ 猿さ 焙

置いてって 置いてって 
相反したイメージ押し付けないで 
そう群がって まあ散らかして 
停滞した幸福に溺れてくの 
僕無しで ああ息をして 
また偽りのイメージで媚び売んの 
もうやだって 愛さないで 
信仰の様な暮らしから抜け出したい

 

ここから動画の場面は、テレビや新聞の内容から主人公の白髪の男性に移り変わる。このキャラはおそらくオズワルドをもとにしたキャラだと考えられる(以下、オズワルドとして解釈する)。

ウォルトに「置いていかれた」オズワルドはその後、様々な改変がなされる(動画の薬のようなものは、オズワルドの改変を示唆しているように思われる)。しかしその人気は戻らず、ユニバーサルも別の人気キャラを生み出したことから、オズワルドの存在はだんだんと忘れられていく。

オズワルドは改変で、全く異なる白ウサギにされたりもしている。本動画のキャラが全体的に白っぽいのはそのような事情かもしれない。

動画に出てくる男性との思い出シーンは、おそらく「お父さん」であるウォルトとともにいるシーンであり、そのような昔の幸せを思い出すことしかオズワルドにはできなかったのだと思われる。

 

一方で、オズワルドと多くのスタッフを失ったウォルトは、この経験を活かし、その後世界中で人気を博す「ミッキーマウス」を生み出す。

ここで新たに現れた黒いフードの男性は、この「ミッキーマウス」を表していると思われる(ちなみにミッキーはゲーム「キングダムハーツ」でも黒いフードをかぶっている)。

 

思想とは某半々の疾病ともう半々の傲慢ごうまんを
汚水で割った後にたっぷりとぬるま湯に
漬け込んだ脳に溶け込んだ 糖
瑕瑾かきん 課金 発禁だらけのお祭り騒ぎさ
ただ私の眼には公害が
ティーパーティーしている風にしか見えない

公園にいる鳩並みの警戒心なのね
どっかの誰かも知らん奴が
決めた『生』の値もさ
さあ 匙さじ加減だってばよ
売り捌けや どんどん
駄目だってさ あー言われてんのに
又々熱した鉄板に触れんでしょう

 

ここでは前述のような権利の問題、いわゆるお金に関する大人たちの事情を示しているように思える。様々な大人たちの汚い事情によってオズワルドのキャラとしての「生」は、翻弄されていくわけだ。

一つ前の「もうやだって 愛さないで 信仰の様な暮らしから抜け出したい」は、アニメのキャラクターが多くの人間から愛されることによって存在することを示唆していると思われる。特にディズニーはプロパガンダ映画としての面もあり、大衆にとって「信仰」に近いものともいえる。

逆に言えば、オズワルドはそのような「信仰」のために、幾度も改変されたといえる。動画のオズワルドは、そのように改変させるられるよりも存在が消えることを祈ったのかもしれない。

しかし逃げた先であっても、アニメのキャラクターであるオズワルドは、もともとの人気者に戻ること、つまり愛されることに期待して改変(薬)を受け入れたようにも見える。父を失い、その父にもう一度愛されたいという想いがだけが彼の中に残っていた結果ということも考えられる。

 

目が覚めない時の言い訳
『布団がじゃれてくる』と言葉 言葉を
吐けば吐くほど 真っ青な本当
明け透けになったのよ

 

 ③ ディズニーへともどるオズワルド

老いてって 老いてって
採算はもう来世に持ち越して
疑ってからくたばれ
監視されりゃ真摯に取り組むね
敬って 宣のたまって
遊園地みたく酷く輝いて
耄碌もうろくね 愛は無いね
『信仰に寄生しなきゃ生きれないの?』

 

「老いて」。これは、ウォルトのことを指しているのかもしれない。 

ウォルトは結局、生きている間にオズワルドを取り戻すことは叶わなかった。しかし、噂だが、「いつか、オズワルドを取り戻せ」という遺言が代々ディズニーの社長に残されていたらしい 。

そして2006年、ディズニーはとうとうオズワルドの権利を取り戻すことに成功する。

動画のなかでは、黒いフードの男(ミッキー?)が手を差し伸べており、これはオズワルドの諸権利がディズニーに戻ったことを示唆していると思われる。

 
しかし、ディズニーに戻ったからと言ってオズワルドの苦悩が終わるわけではない。
ゲーム「エピックミッキー」では、オズワルドはこの60年の間に記憶を失っており、「みんなから愛される」という自分がいるはずだった位置にいるミッキーに嫉妬、羨望を持っている。また、父のウォルトのことも忘れているものの、父に愛されたいという想いだけが残り、その心を支配している。らしい(ゲームをやっていないのでこの辺は原作設定のみ調べました)。
「信仰に寄生しなきゃ生きれないの?」
既に愛の欲しい相手(ウォルト)は亡くなっており、ディズニーにはいない。また、最初に生まれたのは自分であるのに、「信仰」ともいえるディズニーの象徴であるのはミッキーである。戻ったオズワルドの評価は、「ミッキーのもとになったキャラクター」であり、オズワルドはミッキーがいなければ自身になんの価値も無いように思えてしまうのではないだろうか。
 

ねえ君誰だっけ
少し貶けなされ慣れたよう
曰く後に名乗りでもすりゃあもう
総て贋作がんさくなんでしょう 無問題もうまんたい
坊主崇めりゃ袈裟まで綺麗
パイオニア擬の犯行

 
現在となっては、弟であるミッキーのほうが認知され、自分はその「贋作」のように扱われてしまう。
さらに、ウォルトはミッキーがオズワルドのようにならないようにとミッキーの権利関係を厳しく取り扱っており(ミッキーマウス保護法と揶揄されるほど)、ミッキーはウォルトから大変に可愛がられていたと受け取れる。
そのようなミッキーに対して、オズワルドが嫉妬し、反感を覚えるのは仕方がないように感じる。
 
『おいで おいで おいでよ』
『おいで おいで おいでよ』
『おいで おいで おいでよ』
『おいで おいで おいでよ』

 

上記のようなオズワルドの嫉妬や羨望を、このシーン前半では示しているのではないだろうか。

その中で、改変されてきた皮を剥ぎ、骨となって生まれ戻るオズワルド。

原点に戻った彼の記憶の中に蘇ってきたのは、黒いフードの男に似た男性。これはおそらく、父であるウォルトである。

ウォルトはミッキーマウスの最初の声を担当していたこともあり、黒いフードの男はミッキーであり、ウォルトでもあったといえる。

 

④ 幸せの国で

置いてけ 置いてけ
翕然きゅうぜんとして安置に住み着いて
そう群がって まあ散らかして
徹底した幸福に溺れてくの
僕無しで ああ生き抜いて
永遠に死にたいから死ねないね
哀 晒して
愛 腐らせて
新成人に合図を

 

このシーンの最初は、この動画の中で一番華やかで、オズワルドがやっと安心できる場所に住む、つまり、ディズニーのキャラクターとして生きることができたことを示しているように思える。彼はミッキーが着ていた黒いフードをかぶり、元の黒い姿に戻った。「徹底した幸福」は、すべてが徹底された夢の国だからだろう。

「僕無しで ああ生き抜いて」

これはウォルト氏が、オズワルドに向けた言葉なのかもしれない。

しかし、これはオズワルドのためを想い、愛しているからこその言葉なのかもしれないが、オズワルド本人にはとても苦しい言葉でもある。

オズワルドは再びディズニーのキャラクターとして、多くの人に認知され、愛され、死ぬことは許されなくなった。

しかし、それは以前の「しあわせウサギ」の彼ではなく、「悲劇のキャラクター」という「哀」しみをもったキャラクターであり、ミッキーへの嫉妬を持ったキャラクターであり、父へ愛されたいという歪んだ想いをもったキャラクターとしてだ。

彼はもう二度と元の「しあわせウサギ」には戻れないし、死ぬこともできない。

 

最後に、動画に出てくる黒フード(黒マント)とリンゴ(のような果実)、といえば「白雪姫」の魔女を連想させるキーワードである。魔女のリンゴでもたらされるものは、「死」と「愛」と「生」である。

 

 

 

以上、長くなってしまいましたが、『ヲズワルド』を自分勝手に解釈させていただきました!

他にもいろいろな仮説や解釈が存在するとは思いますが、このページを読んで、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

それではまた。

 

 

その他、「煮ル果実」氏の作品解釈についてはこちら↓

 

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参考サイト

ウォルト・ディズニー - Wikipedia

オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット - Wikipedia