さて、今回考察するのはこちらの曲↓↓↓
バルーン氏によるflowerの曲です。
歌手としても活動する須田景凪氏の、バルーン名義での新作(約10か月ぶりかな?)。MVは、やっぱりアボガド6氏。
もはや鉄板コンビとなったお二人の今作は、「The VOCALOID Collection ~2021 Autumn~」の一位を獲得しました。
その評価にふさわしく、思わずリズムをとりたくなる音楽と美しい歌詞の映像表現が素晴らしい作品です。
正直なところ、この曲は感覚で聞くほうが適しているのかもしれません。
ですが、この美しい歌詞に思わず心を動かされてしまったので、文字にしたい欲のままに考察・解釈をしていきたいと思います。
以下、歌詞は「パメラ(music / バルーン、movie / アボガド6)」より引用しています。
タイトル
「パメラ(pamela)」とは、基本的には女性の名前として使われる音だ。
ギリシャ語で「すべて甘い」という意味を持つこの言葉は、おそらく映像の人物のもとを去っていった「貴方」という女性を表しているのだと思われる。
さらに、「パメラ」という語は、ズグロニジハチドリというハチドリの学名の一部にも使われている。
このズグロニジハチドリの一般名(英名)は「Black-hooded sunbeam」。
黒いフードを被った(Black-hooded)という名のとおり、頭や体は黒い羽毛で覆われているが、差し込む太陽の光(sunbeam)のような虹色の美しい羽をもつ鳥だ。
この曲の歌詞の中には「茹だる」「眩暈」「雲(雲隠れ)」といった太陽と関連する用語も含まれている。これらは、曲の人物が、「貴方」をズグロハチドリの持つ羽のような「太陽の光」の象徴として見ていたととれる。
本体は「黒」くありながらも、美しい「太陽」のような羽をもつズグロハチドリ。
この鳥の食べるものは、「花の蜜」である。
1. 夢の芽吹き
曲は、時計の針が絶えず進んでいく様子から始まり、風化した部屋が舞台となっている。
その中心に座っているのは、「夏の気配が近づいている」にもかかわらず、長袖を着ている青年。
これは、この青年(以下、「彼」)が長い間動けなくなってしまった様を表しているようだ。
また、出てくるのは後半だが、「うつつは灰色」という歌詞に注目したい。
うつつとは「現実」のこと。よく使われる「夢かうつつか」という表現は「夢なのか現実なのかわからない」という意味だが、これはまさしくこの曲の状態を示していると思われる。
この曲の映像は基本的にグレイッシュカラー(灰色がかった色味)が使用されている。これはいわゆる「色褪せた」状態だろう。
また、中心となる部屋には大きな窓があるにもかかわらず「影」が描かれていない。つまり、「太陽の光」が差し込まない状況だといえる。
したがって、この部屋はまさしく「貴方」がいなくなったことにより光を失い、色褪せてしまった「うつつ(現実)」なのだろう。
そして、そのなかで例外は「花」だけだ。
この映像では、飾られた花だけが様々な色を持っている。
しかしながら、これらの花は、春、夏、秋、冬と開花時期が異なる花であり、一度に揃うことは基本的にない。
つまり、この「花」は、「うつつ(現実)」ではない「夢(幻)」の象徴なのである。
長い夜は貴方の事ばかり考えて時を過ごす
近づいた夏の気配
茹だるその声で触れて欲しい眩暈がする
その仕草も言葉選びすら理解出来ず
瞬きのような毎日が無常にも過ぎていく
「長い夜」は、眠れずに夜が長く感じる、ということを意味しているとともに、もう一つの意味を持つと思われる。
それは、「貴方」は彼にとっての太陽であり、太陽のいない夜のような時間がずっと続いている、という意味だ。
「茹だる」や「眩暈」という表現も、太陽の熱さやまぶしさを連想させる語彙であり、「貴方」が太陽の象徴であることとかけているのだろう。
つまり、「貴方」のいない毎日は光がなく色あせており、あっという間に時間が過ぎていく状況を示している。
熱を持つ呼吸
割れた花瓶
いずれ全て何気なくなっていく
雲隠れする水色
言葉で片付くものなんて
一つも要らないと思う
「熱を持つ呼吸」「割れた花瓶」
これらは、熱を感じるほど近くだった「貴方」の吐息や映像に映っているひびのはいった花瓶を指していると思われ、どちらも「うつつ(現実)」のものである。
これらのものは無常(はかなく移り変わっていくこと)で、時とともに失われていくものだ。
「雲隠れする水色」
雲隠れとは「雲で隠れてしまうこと」や「姿をくらます」という意味がある。
この水色はおそらく、青空の色のことだろう。
太陽のある青空が灰色の雲で覆われてしまうこと、つまり、太陽のような「貴方」がいなくなってしまい、「うつつ(現実)」が灰色になってしまったことを暗示していると推測できる。
このような彼の感情を暗に表現しているのが、出てくる花たちだ。
この歌詞の部分で、出てくる花は以下の通り。
花瓶にあるか / 花の名前(色) / 花言葉
〇 / ユリ(黄色、黒) / 偽り、不安、陽気、天にも昇る心地、恋、呪い
〇 / イヌサフラン(ピンク) / 最良の日々は過ぎ去った、危険な美しさ
〇 / アジサイ(青) / 無情、高慢、美しいが冷淡、辛抱強い愛情
〇 / スズラン(白) / 再び幸せが訪れる、純粋
〇 / スイセン(白、黄色) / 自己愛、神秘、もう一度愛してほしい、私のもとへ帰って
〇 / ヒガンバナ(赤) / 悲しい思い出、情熱、独立、諦め
× / オダマキ / 愚か、捨てられた恋人、必ず手に入れる
× / 人の手 / 手話で「花」
これらの花はすべて毒をもつ花であり、花言葉も、スズランの「再び幸せが訪れる」の淡い希望のようなもの以外は、悲しいものやもう一度会うことを願うようなものとなっている。
上にも述べたように、この曲における「花」はおそらく「夢(幻)」の象徴であり、これが左目あたりから芽吹いてしまった彼は、すでに「夢」に捕らわれ始めているのだろう。
だんだん独りが染み付いて
寂しさの感度も忘れていく
最低な夜は切り裂いて
この夢が覚める前に
「寂しさの感度も忘れてく」
寂しさもわからなくなるほどに独りで過ごした時間が長くなってしまった彼。
「最低な夜」というのは、彼には理解できない「貴方」の仕草や言葉について苦悶する夜であり、太陽のような「貴方」がいない時間のことである。
そして、「この夢」というのは、おそらく、「貴方」がいる幸せな「夢」のことだ。
夢が覚めたころに「貴方のいない最低な夜」が無くなるように切り裂きたい、ということは、「貴方」といる幸せな「夢」を見て、覚めたあともそれを「うつつ(現実)」にしたいという願望を表しているのかもしれない。
2. 夢の開花
覚えのある愛の言葉
偽物な貴方によく似合う
黄昏が街を包む
風穴の空いた心だ
「覚えのある愛の言葉」「偽物の貴方によく似合う」
これはつまり、彼の「夢」だ。
過去に「貴方」が彼に言っていた愛の言葉を、「夢の中の貴方(偽物)」が彼に言っている。
彼にとって幸せな「夢」の中なのだ。
「黄昏」
ここの映像では、黄昏が街を包むという言葉の通り、部屋が黄色に近い色になっている。
しかしながら、黄昏もまた、太陽があってのものだ。そして、ここ以降に続く歌詞では、「うつつは未だ灰色」。
現実は「水色が雲隠れ」してから雲の灰色になったまま、未だ灰色であるにもかかわらず、この「黄昏」が起きているのだ。
要するに、この「黄昏」すら「夢」であり、彼が「夢」に侵され始めていることを示唆している。
ただし、わざわざ「偽物」のように、「夢の貴方」を表現するのに皮肉めいた言葉を使っていることや、「風穴の空いた心」となってしまっていることを踏まえると、「夢」というものは彼にとって華やかではあってもいいものではなかったのかもしれない。
有り余る理想
欠けた虚像
いずれ全て何気なくなっていく
うつつは未だ灰色言葉で片付くものなんて
一つも要らないと思う
「有り余る理想」は、今では叶うことの難しい「貴方」と過ごす未来の希望だろう。
そして、「虚像」は「偽物である夢の貴方」だ。現実が遠のいていくにつれ虚像ですらも保つことが難しく、どんどん欠けてしまっているのかもしれない。
たとえ幸せな夢を見たところで、「うつつ(現実)」が変わるわけではなく、希望も夢も無常に、時とともに失われていくことを意味していると思われる。
がんがん鼓膜をつんざいた
迷えるあの雷火も鳴いている
最低な夜は出し抜いて
遠い朝へ逃げる為に
「迷える雷火」とは、空をジグザクに走る稲妻が、あちらこちら暗闇を迷っている様子と表現していると思われる。
あの雷火「も」鳴いている、ということは、彼自身も同じ境遇ということだ。
この曲では、「ああああああああ」という歌詞に載っていない叫びが、動画のなかで「言葉」によってかき消されていく。
これは、彼もずっと暗闇を迷いながら叫び泣いていることを示しているのだろう。
また、ここでは、最低な夜を「切り裂いて」から「出し抜いて」という言葉に変わっている。
「朝」とは太陽の昇る時間、つまり「貴方」と再び会える時だ。
しかしながらこの「朝」は遠く、さらに「朝に向かう」のではなく「逃げる」という言葉が使われている。
したがって、ここでは、彼は再び彼女に会いたいという思いからではなく、「夢に捕らわれてしまった夜」から逃げ出したいと思っているのではないだろうか。
しかしながら、「夢」の象徴である「花」は大きく開花し、彼はすでに割れた花瓶と同じ立ち位置になってしまった。
彼を待ち受ける未来は、どんどんと肥大していく花を生けた、割れた花瓶と同じなのかもしれない。
3. 蔓延る夢
だんだん独りが染み付いて
寂しさの感度も忘れていく
最低な夜は切り裂いて
その手を差し伸べておくれ
そうして彼は眼を閉じて、「夢」を「見る」ことをやめ、「うつつ」はすべて華やかな花となった。
「その手を差し伸べておくれ」
この歌詞部分では、伸ばした手はすべて黄色いユリに覆われている。
黄色いユリの花言葉はいろいろとあるが、その一つは「偽り」。
つまり、
「手を差し伸べてほしい、 ”偽りでもいいから”」
という彼の言葉にならない思いなのかもしれない。
だんだん独りが染み付いて
寂しさの感度も忘れていく
最低な夜は切り裂いて
この夢が覚める前に
この歌が終わる前に
また、黄色いユリの別の花言葉は、「天にも昇る心地」である。
「夢」自身となった彼は、まさに天にも昇るような心地だったのかもしれない。
そして、その花言葉のとおり、彼の「うつつ」はまるで天国のような美しさとなった。
少し前にもどって、この曲でサビに入るまえの歌詞には、
「言葉で片付くものなんて 一つも要らないと思う」
という彼の思いが綴られている。
言葉で片づけられる、とは、要するに言葉で表現可能だということ。
それができないということは、言葉じゃ言い表せないものであって、この曲でいえば「ああああああああ」のような叫びを生み出す感情にあたるんじゃないだろうか。
つまり、夢に捕らわれてしまった彼にとっては「ああああああああ」という「言葉では片づけられない感情」がなによりも重要なものであって、考えることによって生まれ、誰かと話すために必要な「言葉」というものは、もはや要らないものになりつつあったのだろう。
それは、この曲の「歌詞」という言葉ですら例外ではなく、「この曲が終わる」頃には、すべて言葉の要らない「夢」になるのだと思われる。
そしてもう一つ、「覚める」という言葉についても考察しておきたい。
「覚める」とは、「夢から覚める」のように眠った状態から起きるという意味でも使われるが、もう一方で、「目覚める」「迷いが消える」といった意味ももつ。
この最後の歌詞で使われてる「覚める」は、後者である可能性がある。
「この夢が覚める前に」と「この歌が終わる前に」は並列で使われているということは、この二つは似たような立ち位置にあるということだ。
「この歌が終わる前に」は上にも述べたように、誰かと話すための言葉が必要となくなってしまう「夢」になってしまうことを意味すると思われる。
それを踏まえると、「この夢が覚める前に」は、「彼が夢から起きる」ことではなく、「彼の夢自体が彼に取って代わる」ことを意味するのかもしれない。
つまり、言葉によって雷火のように迷っていた彼の「心」が消え去り、彼は夢自体になってしまった、ということを暗示する。
それが、この歌詞が「夢から覚める前に」ではなく、「夢が覚める前に」である意味だとしたら、まったくもって怖いものである。
花
ここに出てくる花は、上にも述べたようにすべて毒のある花である。
「夢」のように美しい花たちだが、その本体には毒をもつという点は、最初に述べたズグロニジハチドリから得た「貴方」の印象と同じである。
この花の中で、七番目に出てくるオダマキという花に着目したい。
この映像に出てくる7つの花のうち、実は、このオダマキだけが花瓶の中には入っていない。
これは、オダマキの花言葉が、「捨てられた恋人」というものだからだろう。
つまり、オダマキの花は、「貴方」に捨てられた彼自身ということだ。
このオダマキだが、織物をする際に糸を巻いていく道具である苧環と形が似ていることが名前の由来となっている。
この苧環(おだまき)にちなんだ歌として有名なのが、伊勢物語の以下の歌。
「いにしへのしづのをだまき繰りかへし 昔を今になすよしもがな」
簡単に訳すと、「苧環で糸を手繰り寄せては繰り出すように、時間を巻き戻して(あなたとの楽しかった)過去を現在にできたらなあ」という意味で、男が昔関係のあった女性に詠んだ歌である。
過去を現在にできたら、と願う点はおそらくこの曲の「彼」自身にも共通する気持ちだろう。
そして、残念ながら、伊勢物語のこの歌でも、女性が男のもとへ戻ることはない。
以上、「パメラ」の考察・解釈でしたが、いかがだったでしょうか。
もし、私はこう思う!など何かご意見があれば、ぜひ教えてくださいね。
それでは、また。
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