『PROMARE プロメア』を自分勝手に解釈してみた3【□△〇から得られる精神的対話】

 

 

※ネタバレを含みます。見てない方はご注意ください。

 

映画『PROMAREプロメア』。

公開から4か月経つにも関わらず上映が終わるどころか上映劇場を増やしているこの映画は、今日日までにさまざまな考察がなされているものの、いまだにその考察が尽きることはない。

 

その理由の一つは、シンプルなストーリーと細かな設定のギャップにあると思われる。

 

この映画では設定に合わせてそのモチーフが決まっており、特に顕著なモチーフは□△〇の記号である。

シーンの各所にこれらの記号を含めることで、私たちはそれがどの立場からの演出なのか(バーニッシュ側なのか非バーニッシュ側なのか等)を知ることができるわけだが、演出があえて単純な記号で表されているため、そこに含まれるより複雑な心理や場面構成を考察せざる得なくなっているわけだ。

 

この記号についてはこれまでに多くの素晴らしい考察がなされており、私はすでにこの記号演出について理解していたつもりでいたのだが、その考えは以下のツイートによって恥ずべき思いあがりだったことに気づかされた。

 

 

 

ほんとに観察眼素晴らしい…

前者の場面についてかみ砕いて書くと、

 

「クレイザーXの四角い氷の壁をリオデガロンのパンチが丸く壊して溶かす」

 

ということになる。

文章にするだけでこの破壊力…相当なものである。

 

何が言いたいかというと、この記号を使った戦闘のやり取りは、ガロ、リオ、クレイの心理的攻防を表しているといえる。

その点について以下にもう少し詳しく説明していきたい。

 

 

1. 〇が出てくる場面

 

映画『プロメア』の世界では、バーニッシュと非バーニッシュという対立する関係が前提としてあり、性質の異なる人間同士がお互いをどう知り、認め合っていくのかを描いている。

 

本映画の意図に関する考察・解釈については以下の記事に記載↓↓

 

musubiki.hatenablog.com

  

 

そして、これを読んでいるほぼすべての人が知っている通り、□は「非バーニッシュ」、△は「バーニッシュ」側の出来事を表しており、〇は最後に世界が救われる際の出来事に使用されている。つまり、「大団円」の〇だ。

しかし、改めて映画を見てみると、この〇を使ったエフェクトは物語の途中(クライマックス)あたりから出てくることがわかる。

 

特に顕著なのが、以下の二つである。

 

・ガロがリオの暴走を止めるためリオの乗るバーニッシュフレアの龍を凍らせ、そこから飛び出すとき(+湖)

・クレイザーXの氷の壁をリオデガロンのパンチで溶かすとき

 

そう、このリオvsガロとクレイvsガロ&リオの戦闘シーンで、氷を解かすエフェクトに〇が使われているのだ。

 

氷を解かす表現に〇を使うのはよくあることで、意図的ではないのでは?とも考えられるわけだが、それを否定する一つの材料が「前日譚リオ編」である。

この前日譚でリオがフリーズフォースの氷を溶かす際、その形はなのである。

 

それだけではバーニッシュの出来事として△が使われただけであって、特にそうじゃない場面では〇を使ったという説は捨てきれないわけだが、そこはトリガー、このような記号演出を行っている彼らが混乱を招くような使い方をする可能性は低いと思われる。

では、氷を溶かす〇を意図的なものだと考えると、どのような解釈ができるだろうか。

 

2. リオvsガロ

 

リオの基本、「バーニッシュのため」に動いている人物である。

「燃やしたい」という想いと「殺さない」という想いの共存を目指しており、「燃やしたい」想いを抑え込み「人(博士や非選別市民)を殺す」クレイとは、相反する人物として描かれている。

 

彼の行動倫理は基本「バーニッシュのため」であり、彼の人間的な部分は映画の中盤まで隠されていたように思う。

例えば、「バーニッシュも同じ人間だからご飯を食べる」というシーンでも、彼自身は「食べる」という動作を見せていない。

同様に、リオが映画の中盤までで見せる表情のほとんどは、「バーニッシュのため」の怒りであった。

つまり、中盤までのリオは「バーニッシュのため」に怒り、戦う存在として描写されていた。

 

そんな彼が人間的な弱さを示したシーンがある。

それが「泣く」という感情表現だ。

言葉も戦闘も怒りでさえも「バーニッシュのため」であった彼が、唯一「ため」にならない泣くという動作を見せたのが、あの炎の龍で暴走するシーンなのだ。

 

リオの涙は普通の涙とは異なり、炎(プロメア)でできているため一見泣いているとはわからない。しかしガロはすぐに気づき、そしてそのリオ龍に特攻して凍らせ、リオを引っ張りだすわけだ。

この、特攻後の氷が解けるシーンでは、氷が〇型に溶けて二人が飛び出してくる。

 

その後、お互い文句を言いながら殴り合いをし、最終的にガロはリオに彼自身の最も深い部分にある「人を殺さない」という誇りを取り戻させることに成功するわけだ。

この「人を殺さない」という誇りはバーニッシュの誇りと言っているが、前日譚を見る限り、もともとはリオ自身が持っているリオの誇りである。

また、ここでガロは、氷で捕えるという方法ではなく狭い場所で殴り合うという方法をとっている。これは、ガロの行動のなかに、暴走を止めるだけでなく、泣いているリオを、つまり救いを求めているリオを救う、という気持ちがあったからではないだろうか。

  

ガロの殴り合いという行動は、リオの人間的な部分を引っ張り出し、「人を殺さない」という信念を思い出させる、つまりリオの本心を暴くという行為(殴って暴走を止める)である。

そして、そのようにガロがリオの心の壁を取っ払いリオの心の深い部分に触れるシーンで、「氷が〇型に溶ける」という描写が使用されているのだ。

 

 

※ただし、最初のリオ龍が飛び出してくるシーンでは、〇の後に□型で飛び出してくるという演出も一瞬だが見れた(後日もう一度確認)。また、殴り合いの後、湖の氷が歪な〇型に溶けるという表現がなされている(蒸気の表現自体は△)。

したがって、ここまでの時点で、まだ完全にリオの心に入り込んだわけではないことを完全な〇ではない表現で表しているのかもしれない。

 

 

3. クレイvsガロ&リオ

 

では、クレイのシーンでは、どのように〇が使用されているのだろうか。

以下にシーンを思い出しながら見ていこう。

 

クレイの場合は、その本心を、まず□(非バーニッシュ)という氷の壁で隠していた。

中盤までは、ガロもリオを含むマッドバーニッシュも、クレイ側に敵わず捕獲されていた(リオは飛ばされた)。つまり、クレイ側の戦闘力は高く、一対一ではクレイの□の氷を溶かすことは叶わなかったのだ。

しかし、そんなガロとリオの前にデウス博士が現れる。この機械仕掛けの神は、二人にデウス・エクス・マキナ(ご都合主義の神)を与え、二人はこれでクレイに対抗するわけだ。

このご都合主義によって、二人はやっとクレイと対等に戦うことができるわけである。

 

クレイ(□(△))  vs   ガロ(□)・リオ(△)

  

ワープゾーンの形状を見ても分かるように、△を無理やり□にしようとするクレイに対して、二人は操縦者ガロ(□)をリオの炎(△)で覆ったリオデガロンで止めようとする。

そしてそれに対峙するのが、クレイザーXである。

 

このクレイザーX対リオデガロンの攻防は以下の通りである。

ここでは、クレイザーXはあくまで非バーニッシュの司政官としてのクレイが作ったものであり、概念としては□とする。

 

f:id:musubiki:20191004210710p:plain

クレイザーX vs リオデガロン

 

 

上記のとおり、クレイザーX(□)の攻撃に対して、バーニッシュだけの力では勝てず、拳もしくはマトイ(△と□の協力)によって勝っている

 

ちなみに、この戦闘に関しては、「ガロめ、調子に乗るなよ」のセリフからも分かる通り、基本クレイvsガロで対話をしており、バーニッシュフレア以外、つまりガロの特徴が出ている攻撃がクレイザーXの攻撃に勝る、という結果になっているのだ。

この結果も、クレイの「唯一計算通りにいかない存在」がガロであることを証明しているように見える。

 

そして最後の〇の砲弾で、直接クレイザーXに触れ、これを壊すことに成功する。

この際、リオデガロンの手はクレイザーXの胸に触れ、思い切り〇型の砲弾を撃ち込む形になっており、クレイザーXの心の壁を壊した、という意味合いを含んでいるようにも取れる。

そして、この破壊とともにクレイの非バーニッシュ(□)という側面が取れ、バーニッシュ(△)という側面を引き出すことになる。

 

クレイ(バーニッシュ△)vsガロ&リオの攻防は以下の通りである。

 

f:id:musubiki:20191004211111p:plain

クレイ vs ガロとリオ


 

クレイのリオに対する挑発後、バーニッシュクレイ(△)はリオ(△)を圧倒する。

それに対し、ガロは銃で対抗するわけだが、圧倒的なクレイ(△)の力の前に敗れてしまう。

つまり、ガロもリオも単体の力ではクレイに敵わない。

 

その後、リオの炎をまとったガロ(△□)はバーニングレスキューの力を借りてエンジン部まで行き、クレイと対峙する。

ここでクレイのバーニッシュフレアを真正面から受けるわけだが、ガロ(△□)はクレイの炎をモノともせず、そして炎を止めてしまったクレイに対して「助ける」宣言かつKOするわけだ。

言うまでもなく、この最後のパンチのエフェクトに〇が使用されている

 

この二つの戦闘では、どちらも、△や□だけの力ではクレイに勝つことはできず、△と□の協力(マトイ、リオの炎とガロ)により突破口を開き、最終的に直接触れる攻撃(〇)によってクレイの暴走を止めることができる、という流れになっている。

 

特に上記二つの戦闘で〇のエフェクトが使われていたのは、氷の壁と最後のパンチである。

 

バーニッシュ(△)ということを隠していた□の壁は、リオのバーニッシュフレア(△)では溶かすことができず、ガロの拳(〇)だからこそ溶かすことができたのではないだろうか。

そして、クレイの人間的な部分を隠していたバーニッシュ(△)という壁は、生身の身体から繰り出される「救う」という意思の乗った拳(〇)だからこそ、破壊することができたのではないだろうか。

 

そしてもう一つ、考察しておかなければならない点がある。

それが、クレイの感情表現だ。

バーニッシュ化したクレイの眼から下には、何か線のようなものが足されている。

 

 

 

ほんま神考察・・・

この神ツイートにもあるように、クレイの眼の下には線が描かれている。

実はこの線、クレイザーX時に少し出てきており、さらにバーニッシュ化した際には大きく頬の下側まで描かれているのだ。

 

映画では、多くのバーニッシュたちが苦しむ様子が描かれていたが、その中で涙を見せる人はいなかった。

これは妄想になってしまうが、泣く状態というのは感情が高ぶっている状態であり、バーニッシュはプロメアと共鳴して炎を出す状態になる。

つまり、涙は蒸発してしまう可能性が高い。

ということは、先に述べたクレイの眼から下の線は、蒸発してしまったクレイの涙の跡なのではないだろうか。

 

龍状態のリオが泣いていることを感じ取ったように、ガロは周りの人間の感情に対して敏い部分がある(事故後の成長段階の環境によるものか?)。

もしかすると、リオの時と同様に、ガロはクレイが泣いているように感じ取っており、それによってガロの目的はクレイを「止める」から「救う」というものに変わったのかもしれない。

 

そして、だからこそあの、「俺は助けるぜ、リオも、地球も、あんたもなあ!」に繋がっていくのではないだろうか。

 

そんなガロの拳はクレイの本心を曝け出し、その深い部分に入り込み、それによって最終的にクレイを救ったのかもしれない。

 

まとめ

 

人間同士がより深く認め合うには、お互いのより深い部分にある本心を曝け出す必要がある。

しかし、多くの場合、人はそれ(本心)をひた隠しにする。

なぜなら、心を曝すという行為は深い傷を負うリスクを伴っており、特に相手が性質の異なる人間であれば、そのリスクは高まるからである。

 

また、直接手で殴るという行為は、武器を使った場合とは異なり、殴った側もダメージが大きいものである。

そのダメージを顧みずぶつかっていくためには、相手を大事に思っていないとできない行為なわけだ。

 

痛みを顧みず、相手に真正面からぶつかっていき、そしてその本心を引き出すガロは、まさしく人の輪(〇)作る人間だ。

 

ついでに言うならプロメアという映画は、プロメア好きの人々とも関われ、さらにはお互いに自分の考えを言い合い議論しながら人脈を広げることができる、まさしく〇にふさわしい作品。

素晴らしい映画だ。

 

 

 

 

 

 

 

※記事に貼っているツイートに関して、ご本人さまから削除申請などがあった場合は削除いたします。あしからず。

 

 

その他、プロメアに関する考察・解釈はこちら↓↓

 

musubiki.hatenablog.com

 

 

musubiki.hatenablog.com