『キルマー』を自分勝手に解釈してみた

 

さて、きました。

きましたよ。

 

『紗痲』の前作(episode 0)にあたる『キルマー』、解禁です。

 

 

 


∴flower『キルマー』【Official】

 

『キルマー』は煮ル果実氏の作品です。

『紗痲』でファムファタルのような魅力的な女性であったカルミア(Kalmia)の、誕生の秘密が描かれています。

 

『紗痲』の勝手解釈についてはこちら↓↓↓ (今回のキルマー解釈後、こっちも再解釈するかも)

musubikik.com

 

 

 

さすが煮ル果実氏と言わざるを得ない口ずさみたくなる音楽と、目が離せない物語を綴るWooma氏の動画。さらに中村リョーマ氏のMix&Masteringで洗練された最高の作品です。

 

最初は、解釈する気はなかったんです。

ああ、悲しい。悲しくて素敵。こんな修羅場から生き残ってカルミアになったのね~くらいの気持ちでしか見ていませんでした。

 

 

いや、待て。

よく考えろ私。

あんなにコトコト煮込む果実(最高敬語)がそんな単純な曲を作るわけないじゃないか。

 

 

そんな思いから何度も見ていくうちに、頻繁に出てくる「愛」というものについて、考えさせられるようになりました。

 

そこでここでは、『キルマー』の歌詞と動画をもとに考察・解釈していきたいと思います。

すでに多くの方が考察・解釈していると思いますが、私なりにこの曲における愛について述べさせていただきます。 

長文となってしまったのですが、良ければお付き合いくださいね。

 

 

 

※以下、歌詞はピアプロ(∴flower『キルマー』:https://piapro.jp/t/JVFt)より引用しています。

 

登場人物

まずはキャラ紹介から。

https://twitter.com/cherinka0921/status/1199317067859521537

(Wooma氏のtwitterより引用)

 

Wooma氏のTwitterとInstagramを引用しますが、登場人物は以下の通り。

 

【shama episode 0】
Hanna Mosco(ハンナ・モスコ):角や長い髪、変わった目の色を持つ部族で常に人目を避けて生きてきた。“カルミア”はガイから与えられた名前

Gui Oakes (ガイ・オークス):組織“Alacran”(アラクラン)の頭

Ron (ロン):ガイの手下。大雑把な性格だからよくガイに怒られる…

Livara(リヴァラ):-----------

Armis(アルミス):リヴァラより前にアラクランに捕えられガイに仕えている。密かにガイに好意を寄せる

  

※リヴァラに関する情報はあえて出していないようだ。リヴァラは見た目が『紗痲』のクレイと大変に似ているが、その辺については情報が少なすぎるため、最後のほうで可能性として考察する。

 

Wooma氏のTwitterにもあるが、この作品はカルミアの見た目やアラクランという名前(スペイン語で蠍)など様々な部分から推測できるようにサソリが関わっており、さそり座の神話をもとに作成されている。

この神話で出てくるのは、優れた漁師で美男子でもあるオリオン。そのオリオンの放漫な態度に怒った神々がサソリを遣わし、そのサソリの毒によってオリオンは亡くなったとされている(ここでは神話①と呼ぶことにする)。

Hannaという名は、「恩恵」「恵み」を意味するヘブライ語の人名カンナハに由来する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8Aより)。いわゆる大地の恵みともとれるわけだが、この恵みを狩る狩人のオリオンがガイであり、最終的にガイを殺害するカルミアがサソリだといえる。

  

オリオンの神話には諸説あるわけだが、ひとまずこの話を念頭に置きながら、以下の歌詞を解釈していきたい。

 

 

① カルミアの生い立ちとアラクラン

OPはカルミアから純粋無垢だった少女ハンナに移り変わる形で始まる。

この時のカルミアは髪の片方が切れており、曲の最後の結末を迎えた後、教会へと来たシーンだと思われる。

結末を迎え、「カルミア」となった彼女が教会で何を祈ったのかは、見た人によって変わるだろう。

 

かつて深窓の少女は無自覚モーション
痛い位に溢れた狂気を吸って
凄惨な修羅場で一糸も二糸も纏わず
熟れる 獲る 得る 煩悶

 

ここからはカルミアになる前のハンナが牢屋に捕まっているシーンになる。

 

足に鎖を繋がれ牢屋に入れられたハンナ。

狂気の充満するその場所で、彼女は「一糸も二糸も纏わず」、つまり守る術を持たない全くの丸裸の状態で捕まっている様子が描かれている。

「熟れる 獲る 得る」は成熟しそれを狩りとって得る、という狩りが彼女ら部族に対して行われたことを示している。

 

下賎の面から遥々 韜晦
外連 面被 備えた令嬢のvirgin
群衆は目をつけ矢鱈滅多ら
耽溺して選り択り抜く
先見の明は低迷だ
嘆願の甲斐なくhooligan
煽情が明滅 酩酊
奪って去って嗤う

 

ここでいう下賤は、人身売買のような悪行を行う者たち、という意味だろう。

ハンナたちの部族は長い髪や角に加え、変わった瞳の色をしている。それらはおそらく象牙のように裏で高く取引されており、彼女らを捕まえ売りさばくような人間から、ハンナらは逃げ生きてきたことが描かれている。

しかしながら残念なことに、ハンナらはその狩りを行う組織アラクランから目をつけられることになる。

 

ちなみに、神話のオリオンの死因に関する話には、アルテミスが誤って殺してしまった説(ここでは神話②と呼ぶことにする)もある。

アルテミスは狩猟・貞潔の女神でありいわゆる処女神である。ここの「Virgin」という歌詞は純粋無垢なハンナを示してるが、処女神のアルテミスをモデルとしている可能性も示している。

 

そうして、彼女らが身を隠していた教会はならず者たち(hooligan)に襲われ、ハンナは姉(母親ともとれるが、個人的好みでここでは母親代わりの姉と表現する)をガイによって目の前で殺される。

 


今が生涯 最の底辺だって憂いたくなるよな
都合良く天網なんか存在しないやって
判明したのよ 隷従 隷従
はいはいこれが運命だって
吐き捨てる分からず屋
そこに愛は無い 愛は無いと 喚いていた
破られたベルベットロープ

 

欲望のままに仲間や身内を奪われたカルミア。

泣き叫ぶ彼女は押さえつけられ、その暴力に屈する形となる。

天網とは、天の張る網のことで、悪人は必ず天罰を受けることを意味するが、そのような都合のよい天罰はこの世にないという現実を、カルミアはここで突きつけられたのだ。

 

この先の歌詞にも頻繁に出てくる「ベルベットロープ」は、「自分の内側と外側を決める線引き」を意味するものだろう。

この「ベルベットロープ」は、おそらくジャネット・ジャクソンのアルバム『The velvet rope』をもとにしていると思われ、彼女は以下のように言っている。

 

「映画のプレミア試写会やナイトクラブの横を通り過ぎると、入場できる人と入場できない人を遮断するロープが見えるでしょ。ああいうベルベットのロープは人間の心の中にもあって、他の人を遮って自分の気持ちを隠してる。私はそういう気持ちをさらけ出して、深く掘り下げようとしてるの。自分のベルベットのロープの内側に人を招き入れてるというわけ」https://www.udiscovermusic.jp/stories/how-the-velvet-rope-tied-janet-jackson-in-controversy より引用)

 

つまり、ベルベットロープは自分という囲いを作っているわけだが、ここでカルミアは自分のベルベットロープを無理やり破られ、内側に土足で踏み入られたのだ。 

 

② 捕らえられたカルミアの処遇


宵 ふらふら嘆いて歩いていた
救いなど無いと解っていた
全てを悟ってしまいそうだった
御伽噺みたい だって 観客様は
さぞ楽しいでしょうね 五月蝿い
『熱が潰えるまで仕様がないから観ててやる』

 

鎖を外されたハンナは身体をきれいにされ、ガイの夜の相手をさせられることになる。

おそらくガイのお気に入りとなったハンナ。彼女はサソリの入れ墨とともにカルミアという名を与えられる。

アラクランのボス(しかも美男子)に気に入られ、他人から見ればまるで王子に見初められたおとぎ話のお姫様のようだが、カルミアにとってはなんの救いもない、涙も枯れ果てるような心地だったのだろう。

「I'll take care of you until you die」という言葉も、ガイにとってはお気に入りに対する褒美のような言葉だったのかもしれないが、彼女にとっては彼に命を握られ、姉の二の舞になる未来しか感じられない言葉だったのかもしれない。

 

制裁も毒牙も畏れぬ馬と鹿に
付ける薬餌は無い

 

ここは、アルミスがワイン(毒入り)をカルミアに渡し、それを飲むことをリヴァラが止めるというシーンである。

 

アルミスはガイに好意を抱いており、同じ部族であるのに自分を差し置いてお気に入りとなったカルミアに対して、嫉妬心を覚え、殺害を企てたのだろう。

Armisはラテン語で武器や兵器の意味がある。また、アルミスはアルテミスから一音抜いた名前になるため、もしかするとオリオンの恋人である「アルテミス」になることができなかったもの、という意味もあるのかもしれない。

 

オリオンが好色家であったようにガイもまたそうであり(アルミス、リヴァラ、六人の奴隷?など)、アルミスはガイが囲っている女性の一人だといえる。

ギリシャ神話では、オリオンはアルテミスの侍女であるプレイアデス七姉妹も追いかけまわしており、ここで奴隷と思わしき女性(6人)とその奥にいるArmis(1人)はこの七姉妹からきている気もする。

神話で星となったプレイアデスのうち、6つの星は明るく輝くが、7つめの星だけは人間と交わったことを恥じて赤い色で輝くという説もある。この曲の中で7つ目の星は、実らない恋をするArmisかもしれない。

 

この動画では、上記のような女性間のやり取りを描いているが、ここの歌詞はガイに対するものだといえる。

オリオンは神々の制裁を怖れることなく、放漫な態度を取り続けた。それはガイも同様で、そのような彼に対し、「馬鹿につける薬はない」という意味の歌詞となっている。

 

さて、リヴァラによりアルミスの計画は失敗したわけだが、リヴァラは上記のような歌詞を誘い文句に、毒を利用することを提案する。

いや、ここでリヴァラが提案したかどうかは定かではないのだが、リヴァラがその後毒ワインを利用してロンを殺害していることや、カルミア自身はこの時点でまだすべてを諦めたような境地にいたことなどから、ガイの殺害はリヴァラが提案したととれる。

 

アルテミスがオリオンを殺す神話②は、アルテミスの兄アポロンが、アルテミスと恋仲にあるオリオンの性格を気に入らず、アルテミスをだまして彼女自身にオリオンを射させるという話である。

この曲でいえば、兄アポロンの役割は殺しをそそのかしたリヴァラであり、恋人を殺したアルテミスはカルミアともいえるわけだ。

 

リヴァラに関してはここで過去の映像のようなものが出てきているわけだが、カルミアとリヴァラが以前関わっていることを示しているのか、リヴァラ自身のトラウマのようなものを示しているのか、正直ここは情報が少なすぎて考察はできない(次の作品を待ちます・・・)。

  

 

③ 蠍の毒とオリオン


爛々騒ぐ有象無象すり抜けて
淡々放つ言動
救いのない
渇いた眼には業火が咲いた
そうね さよなら

 

「淡々と放つ言動」

ガイはオリオンのように、淡々と、放漫な態度で不敵な演説していたのだろう。ここの「救いのない」相手は、そのような言動をするガイだ。

すべてを諦め涙の乾ききった眼に炎を宿し、カルミアはガイとの今生の別れを決意する(※カルミアの片目は他の同族の人間と異なることから、義眼もしくはハーフだった可能性がある。それを「渇いた眼」と表現したのかもしれない。)

 

また、多くの言語や宗教において、左は「悪魔的な」や「よこしまな」といった意味を持つ。カルミアの色の異なる目も左目であり、ガイに生きて捕らえられた際やガイを殺す際などに色がついて表現されていたのもまた、この左目である。

ガイはこの彼女の内側にある悪魔的な部分も含めて気に入ったのかもしれない。そしてガイを殺す際に色の灯る彼女の左目は、彼女のその悪魔的部分が解放されたことを暗示しているといえる。

 

また、カルミアは、狩猟の神でもあるアルテミスのように、狩りの才能もあったのだろう。ここで彼女は先ほどの毒ワインを剣に垂らし、サソリの毒針のごとくガイを切りつけるのだ。


今が生涯 最の底辺だって憂いたくなるよな
都合良く天網なんか存在しないやって
判明したのよ 隷従 隷従
安全策は無い この地獄から
抜け出したいのさ
此処に愛は無い 愛は無いと 願っていた
少女は舞った

 

サビの最初の歌詞は、最初と同じだが、ここで「憂いたくなるよな」はカルミアが感じているようにも、カルミアがガイに言っているようにもとれるようになっている。

次の「天網」に関する歌詞も、最初は「天網」がなく悲観していたハンナが、この時点では「天網」が無いからこそ自分が罰を下す(上の立場になる)という風に変化している。

(この辺の、文脈によって言葉の意味を変える手法がほんと煮ル果実氏最高)

 

また、「愛」の歌詞に関して、最初とは違い、愛はないと「願っていた」、となっている。

「願っていた」と過去形であるということは、今は「愛はない」と願うだけだった自分から脱却したという可能性と、今現在「愛がある」ということを認識している可能性の二つがあるわけだ。

 

そこで、銃を取り出すガイに対して、それをはじき飛ばし首に剣を突きつけるカルミア。

 


『仕様がない』ってもう一回ぐらい
言わせてやるよ なあ
卦体な衝動 見抜けないで
油断 クランベリーに溺れる
不埒なhooligan
はいはい何も問題ないわって 吐き捨てる少女が
故に愛は無い 愛は無いと
悟って歌う
断ち切るわベルベットロープ
戻らないベルベットロープ

 

「仕様がない」というセリフは、②カルミアの処遇で記述した歌詞、「仕様がないから観ててやる」に出てきているが、ここで「もう一回くらい」ということは、ガイの口癖が「仕様がない」だった可能性が高い。

もしかするとカルミアは、「仕様がない」と姉を殺され、「仕様がない」と捕えれられ、そして「仕様がない」と生死を握られていたのかもしれない。

カルミアにとってこの「仕様がない」は、まるで「運命だから、仕様がない」と言われているように感じたことだろう。

 

ガイに刃を突き立てるカルミアだが、ここで不可思議な(「卦体」とは不思議なさまを表す言葉)衝動に涙を浮かべる。

 

「クランベリー」はガイの赤い血を例えているのかもしれないが、「クランベリー」の花言葉の一つには「心痛を慰める」というものがある。

カルミアは、ここでトラウマ(心痛)の一つである姉の死を連想する。

ここで殺人を犯せば、彼女は姉を殺したガイと同じ、道理から外れた(不埒な)ならず者の仲間入りをすることになる。そんな彼女に対し、姉の幻覚は慰めるように彼女に寄り添う。

しかし、彼女の中の少女ハンナは「問題ない」と、寄り添う姉の幻覚を断ち切り、故に「愛はない」とガイの首に刃を突き刺す。

つまり、殺しを犯しても「問題ない」のは、すでに「愛がない」からである。

この「愛はない」は、もうすでに「愛」をくれた姉がいないということなのか、体を重ねることでガイに愛を感じ始めていたカルミアが処女であるハンナとしてその愛を否定したのか、それとも、今もこの先未来も彼女の中に「愛はない」と悟ることで平気で人を裏切ることができるカルミアという人物になったのか、感じ方は見る人によっても異なるだろう。

 

そうして、自身のベルベットロープを断ち切ったカルミア。

ガイを殺す直前まで、主語は「少女」だった。つまり、ここまで無垢な少女であったハンナは、悲惨な運命の糸ともいえるハンナ自身のベルベットロープを断ち切ることによって、「カルミア」へと生まれ変わったのだ。 

 

 

 

 

 

Gui 側の視点から

 

さて、ここからが本番だ

 

ここまではカルミア側の視点として物語を解釈してきたわけだが、どうにも個人的に、腑に落ちない感覚がある。

何が言いたいかというと、この曲はGui視点でもあるのではないかと思うのだ。

 

動画内では、カルミアがガイを殺す際に涙を流したのは、ガイを愛し始めていたからでは?というコメントをいくつか見かけた。

カルミア視点だけでいけば、そこにガイへの愛は含まれているような表現はほぼなかったと思えるのだが(ガイ殺害時の涙以外)、それでもカルミアがガイを愛していると受け取る人がいるのは、ひとえにこのガイのせいだと思う。

 

多くの人が感じているように、ガイがカルミアを愛していたかのように思える部分がこの曲にはある。

「死ぬまで面倒見てやる」という言葉、カルミアに切りかかられた時や殺される間際の表情、最初に銃を撃った腕は右手なのに対しカルミアに向ける際には怪我している左腕。

そして、「愛はないと願っていた」の「願っていた」で、苦しそうな表情でカルミアに銃を向けるガイ。

 

もしガイが完全な悪党でクズ(かつブサイクな)野郎だったならば、カルミアがガイを愛していたのでは、という感想を持つことはなかったと思うのだ。

つまり、たとえ悪党ではあっても、彼の人間的な部分が垣間見えることで我々はガイを完全に恨むことができず、それをカルミアの気持ちにも当てはめているのだろう。

 

そこで、ガイを中心にもう一度曲を見ていきたい。

 

この曲は言うまでもなく物語調になっており、歌詞には地の文(説明描写)と会話文(セリフもしくは思考)となっている。

改めて三つのサビの歌詞部分を書くと、以下の通りだ。

 

  

灰:地の文
赤:カルミア
黄:ガイ
緑:ロン

 

サビ①

「今が生涯 最の底辺だって憂いたくなるよな」(セリフであればガイ、思考であればカルミアでも解釈可能)
「都合良く天網なんか存在しないやって
判明したのよ」 隷従 隷従
「はいはいこれが運命だ」って
吐き捨てる分からず屋
「そこに愛は無い 愛は無い」と 喚いていた
破られたベルベットロープ

 

 

サビ②

「今が生涯 最の底辺だって憂いたくなるよな」(カルミアとガイどちらにも解釈可能、カルミアであればガイの口調がうつっているともとれる)
「都合良く天網なんか存在しないやって
判明したのよ」 隷従 隷従
「安全策は無い この地獄から
抜け出したいのさ」(カルミアとガイどちらにも解釈可能)
「此処に愛は無い 愛は無い」と 願っていた(カルミアとガイどちらにも解釈可能)
少女は舞った

 

サビ③

「『仕様がない』ってもう一回ぐらい
言わせてやるよ なあ」(ガイの口調がうつっているともとれる)
卦体な衝動 見抜けないで
油断 クランベリーに溺れる
不埒なhooligan
「はいはい何も問題ないわ」って 吐き捨てる少女が
「故に愛は無い」 「愛は」「無い」(カルミアとガイどちらにも解釈可能)
悟って歌う
断ち切るわベルベットロープ
戻らないベルベットロープ

 

この曲の会話文には男空調と女口調が混じっており、「楽しいでしょうね」「そうね、さよなら」「判明したのよ」のような女言葉は基本カルミア(ハンナ)だと考えられ、それ以外の口調(「憂いたくなるよな」など)はカルミアとは別の人物、つまりガイではないかと思われる。

しかし、後半は男口調の「言わせてやるよ なあ」のようにカルミアがしゃべっているような描写もある。これはもしかすると、覚悟を決めたカルミアの口調が無意識にガイの口調の影響を受けていることを示しているのではないだろうか。

 

また、口調を抜きにしても、上記の色分けの通り、サビの会話文部分はカルミアとガイどちらにも解釈可能な部分が多い。

特に後半の歌詞にはわざわざ「少女は」と主語が足されており、まるでその他の歌詞文の主語が違う人間であることをほのめかすようになっている。

 

さらに動画では、サビ②の「今が生涯 最の底辺だって憂いたくなるよな」でガイが映し出され、「この地獄から抜け出したいのさあ」ではガイが口を開き、まるでガイが話しているかのような描写でもある。

そして、極めつけは「愛は」で口を開くガイと「ない」で叫ぶカルミア。

 

まるで二人の会話を見ているようだ。

 

では、もし上の歌詞のうち黄色がガイのセリフや思考だとしたら、この曲はどう受け取れるだろうか。

 

特に注目したいのは、以下の会話文である。

サビ①、サビ②「今が生涯 最の底辺だって憂いたくなるよな」

サビ②「安全策は無い この地獄から 抜け出したいのさ」

 

「今が生涯 最の底辺だって憂いたくなるよな」はカルミアとガイの両方でも解釈できるが、どちらかというと男口調であり、ガイのセリフである可能性も考えられる。

また、すでに考察したように、「仕様がない」はガイの口癖であった可能性が高い(ロンの大雑把な対応にも「仕様がないな」といって対応してそうなイメージだよね?)。

それが、ガイが彼自身の運命自体を「仕様がない」と思っているせいだとしたらどうだろうか?

サビ①では自身の運命を憂い、サビ②では愛した女性から殺されるという運命を憂いているのだとすれば、彼は自身の運命を地獄と感じていたともとれるのだ。

その場合、「この地獄から抜け出したい」というセリフが、ガイのものでも間違いではない。

もしかすると、ガイ自身、自分の運命を変える何かを期待し、カルミアを殺さずに捕えたのではないだろうか。

 

そのようなガイの感覚でこの曲をもう一度見てみると、カルミア側とはまた違った感想になるだろう。

 

そしてもう一つ注目してもらいたいのが、「愛はない」という歌詞だ。

サビ①「そこに愛はない、愛はない」と喚いていた

サビ②「此処に愛はない、愛はない」と願っていた

サビ③「愛は」「ない」と悟って歌う

 

これらの「愛」関するセリフは、最後のサビ③の動画で二人の掛け合いになることから、カルミアとガイの両方が思っていたようにも私には思える。

サビ①では、カルミアは姉を失い、愛はないと憂いているのに対し、ガイは自分の運命を最底辺だと憂いながら、愛はない、と愛を探してるようにも思えるのだ。

 

また、「そこ」と「此処」では、もちろん「此処」のほうが近い距離を表す指示代名詞である。

つまり、サビ①の時点よりも、サビ②の時点では二人の距離は近づいているといえるわけだ。

サビ③での「愛はない」が「どこに」ないことを指すのかははっきりとはしないが、会話文が二人の掛け合いなのであれば、それは明白だろう。

 

一方、この「愛はない」という歌詞は、それだけでも二人の掛け合いのように取れる。

サビ①でカルミアに対し「そこに愛はない」というガイ。これは逃げ隠れる生活には愛はなく、こちら側(ガイの傍)にこい、という風にもとれる。

しかし、サビ②では上記の言葉に対し「ここに愛はない」と、連れてこられたガイの傍には愛はなかったと答えるカルミア。が、ここの地の文は「願っていた」であり、そこに愛があることをガイは見抜いたのかもしれない。

そして、サビ③では、ガイは「愛」があることを口に出そうとするわけだが、それはカルミアの「ない」に否定される。

 

この「愛はない」は、考え方次第でいかようにもとれるわけだが、結局のところ、カルミアもガイも、「愛」を探しながらもがいていたのかもしれない。

 

 

ガイの名前であるGuiは、フランス語で「ヤドリギ」という意味をもつ。生命力や永遠の命の象徴でもあるこの植物は、Guiの瞳と同じ黄色の花を咲かせる。

花言葉には、「困難に打ち克つ」「克服」「忍耐」、そしてヤドリギの伝説にちなんだ「キスしてください」などの意味があることが知られている(https://horti.jp/29712参考)

 

このヤドリギの伝説は、知っている人も多いだろうが、ヤドリギの下でキスをするとヤドリギの祝福を受け、永遠に結ばれるという話である。

ガイとこのヤドリギの伝説はあまりにも不似合いではあるが、彼の「愛」を求める子どものような心を、暗に示しているのかもしれない。

 

そしてもし、彼が「愛はない」と言いながらも無意識に「愛」を探していたのだとすれば、それはとても悲しい話だ。

最後の「愛はない」の「愛は」では、ガイが口を開くのを阻止するようにカルミアが「ない」と否定する。

もしかすると、ここはガイがカルミアに愛を伝える場面だったのかもしれない。

けれども最後に見つけた「愛」は、それを囁く前に、カルミアによって「ない」と否定される、なんとも救いようのない悲劇である。

 

 

この曲のもととなったのは、最初に述べた通り、さそり座の神話だ。

オリオン座とさそり座は、同じ空に浮かぶことはない星座である。

神話では、オリオンがサソリを怖がり、サソリがいなくなってから姿を現すのだと言われている。

しかし私には、この曲のガイとカルミアのように、愛し方も愛の示し方もかみ合うことのない二人の運命を指しているようにも思えるのだ。 

  

 

補足:紗痲とキルマーのつながり

最初に述べた通り、本作品は、『紗痲』へとつながっていくepisodeとなっている。 

『紗痲』でのカルミアは囚人番号としてNo.9の番号が振ってあり、No.6の番号が振ってあったハンナとの真逆さを示しているのだろう。

 

問題となるのは、クレイとそっくりのリヴァラの存在である。

『紗痲』でも『キルマー』でも、捕らえられたカルミア(ハンナ)の世話を焼き、逃げる手助けをする役割を担うこの二人。

私個人としては以下の理由から、クレイはリヴァラの血縁もしくは生まれ変わり説を推す。

 

1. リヴァラとクレイの髪質や性格の違い

これはまあ動画を見ればわかるだろう。

 

2. 時代背景

キルマーは人狩りが行われているような時代であり、かつ服装なども『紗痲』や『ヲズワルド』と比べて大分古いように見受けられる(まあ紗痲は囚人服だけど他の囚人の髪型とかもキルマーより新しめ)。

 

3. 回想シーン

紗痲の最初の回想シーンでは子どものクレイと大人のカルミアが交互に映し出される。

ここでのカルミアはすでに右側の髪がバッサリと切れている状態であることからキルマーの後。したがってこの回想は、クレイが子供の頃にカルミアと接触していた可能性を示している。

クレイの「気づかないわけもないんだよな」というセリフは、この子供の頃もしくは前世の記憶的なものからきていたのかもしれない。

また、ここのシーンでは模様のようなデザインとして切れたロープのようなものがあるが、これはカルミアの「ベルベットロープ」を示しているようにも見える。

 

これらの理由から、個人的には、カルミアは何らかの理由(長寿の部族だったとか?)から長生きしており、一方でクレイは、リヴァラの生まれ変わりもしくは血縁者にあたるのではないかと予想する。

 

(ちなみに、ハンナの髪型を今のカルミアっぽくしたのはリヴァラだと思われるのだが、もしかするとこの髪型はリヴァラの好みで、クレイが一目ぼれしたのもそのせいかもしれないね。)

 

私は、『紗痲』の中で、なぜカルミアがクレイを心配するような顔をするのか今まで疑問だったのだが、これはもしかするとこのキルマーでの出来事やリヴァラのことを思い出していたのかもしれない。 

 

このあたりは、きっと次の作品で明らかになっていくと期待して、煮ル果実氏を待っていよう。

 

まとめ

 

ベルベットロープは先にも述べたようにジャネット・ジャクソンの『The velvet rope』からきていると思われる。

このアルバムはDVやSMなど性的なテーマを赤裸々に表現したアルバムで、賛否両論を呼んだ作品だ。特に彼女の同性愛を肯定するような表現はキリスト教を信仰する保守派から批判を受けたらしい(https://www.udiscovermusic.jp/stories/how-the-velvet-rope-tied-janet-jackson-in-controversyより)。

『紗痲』は、ご存知の通り、同性愛をテーマにしたものであり、本作『キルマー』はある種DVをテーマにしていると思われる。

 

どちらも「愛」ではあるが、その受け取り方は人によって様々だ。

「愛」には自分を曝け出すことが必要であり、それはつまり、自分のベルベットロープを外し相手を招き入れるということだ。また、そのベルベットロープで囲う形によって自分は構成される。つまり、このロープ次第で新たな自分へと成長することもできる。

しかし、ベルベットロープを外し、自分を曝け出すということは、自分が傷つく可能性も高くする。様々な愛に対して人の評価もまた様々であり、ジャネット・ジャクソンのアルバムのように、称賛する人もいれば拒否反応を示す人もいるだろう。

また、ベルベットロープを外したからと言って、自分の愛を相手が受け入れてくれるかどうかは別問題だ。

この作品でカルミアは、自身のベルベットロープを断ち切り、ハンナからカルミアへと自分という線引きを変え、その運命を変えた。それがいいことなのか悪いことなのかは、愛の形が様々であるように、だれにも決めることができないのだろう。

 

 

 

 

以上、長くなってしまいましたが、『キルマー』の考察・解釈でした。

かなり妄想(特にGuiの部分)も入ってしまいましたが、楽しんでいただけたのなら幸いです。

解釈も「愛」と同様に人それぞれだと思いますが、それを否定ではなく議論することができればもっといいものが作れると思っています。

ですので、もしご意見等あれば、いただけると嬉しいです。

 

 

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