『IRIS OUT』を自分勝手に解釈してみた

はいはい……

 

最高に決まってるでしょ?????

 

 

 

 

 


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ということで(どういうことで?)、ここでは、米津玄師氏の「IRIS OUT」を考察・解釈していきたいと思います。

 

以下、歌詞はYOUTUBEより引用しています。

(以下敬称略)

 

1. 「妄信」の歌

本曲は、2025年9月公開の劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のOPテーマである。

この歌詞は、まさにチェンソーマン!と連想させるような的確な具体性、考察せざる得ない絶妙な表現力、そして誰もが共感できる汎用性を持つ。アニメ主題歌として100点満点!と私絶賛の曲となっている。

 

この曲の主題は大きくつ。

 

一つは、「盲目性」だ。

 

ネットでは、映画内の「誰から誰に」対する盲目性なのか、ということがよく論点に挙がっている。

 

やはり映画主役の「デンジ→レゼ」で受け取る人が多い中、「レゼ→デンジ」を示すという考察もあったり、OP映像の支配されている様子から「デンジ→マキマ」を表しているという話もあった。

個人的には、「ビーム→デンジ」が最も盲目的だけどね。

 

まあ、正直な結論から言えば、米津の曲は誰もが共感を抱けるように作ってあるため、登場人物および視聴者すべてに当てはまる部分があるといえる。

 

とはいえ、主題歌を作る際には基本的には”要約”とする米津のことだから、「デンジ→レゼ」がメインで間違いはないだろう。

 

しかしながら、私はMVを見た際に、大きな違和感に襲われた。

 

本映画は、大きく日常(恋愛)パートと戦闘パートに分けられる。

特に戦闘パートはめちゃくちゃ作画が素晴らしく、その映像を利用しているこのMVもサビに戦闘シーンを持ってきている。

そうすると、1番で日常シーン→戦闘シーン、2番で日常シーン→戦闘シーン、ととても単純な映像構成になってしまっているのだ。

もちろん、映像が素晴らしすぎるので飽きることはない。

ないのだが、いささか米津にしては単純だな、映画の映像から持ってきているし仕方ないのかな、とおもっていた。

そんな私が愚かだった。

 

よくよく見てみると、

1番と2番では主体が変わっているではないか。

 

この曲の主要な登場人物は3人。

デンジ、レゼ、マキマだ。

そして、1番での主体はデンジ、その間にマキマが挟まり、2番ではレゼへと変わっている。

 

 

うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉいいいいい!!!!!!!!

 

 

いろんな解釈があると思うが、

 

 

おおよそ予想される解釈!

 

 

全部!!!

 

 

組み込まれてる!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

ここで、曲の前奏部分を見てみよう

実はこの曲の前奏部分の映像では、この曲のすべてを物語るような流れとなっている。

 

最初の水に手をいれるシーンは最後に考察させてもらうので、その次のシーンから。

デンジが登場し、表拍のリズムで意気揚々と歩いて空を見上げるシーン。

このあとレゼのシーンとなるが、レゼの歩行は裏拍から表拍へと、映像の切り替えによって変わる。

デンジが空を見上げるのはソ連の飛行機から落とされる爆弾であるレゼと出会うことへの予感を、レゼが裏拍から表拍へと変化するのは決して交わることのなかった二人の人生がここで交差することを暗示している。

 

そして、ネズミと丸が印象的なマキマの瞳。

この時のマキマの歩行はまったくもってリズム度外視。つまり「君だけルールは適用外」だということだ。

 

ということで、この記事では、いろんな解釈を踏まえつつ、1番デンジ視点、間にマキマ、2番レゼ視点をメインに考察していきたいと思う。

 

 

 

2. IRIS OUTは「トホホ」

歌詞の考察に移る前に、もう一つの主題についても話したい。

それは、「トホホ」だ。

 

曲のタイトルであるIRIS OUTは、映像技法の名称で、画面中心(もしくは別の場所)に向かって円形に小さくなっていき、最終的には消える効果のことをいう。

昔ながらのアニメなどの最後、主人公が自業自得のような形で残念な目にあった際に、「トホホ~」といった感じでが小さくなって終わる、アレだ。

 

そして、MV、本編映像ともに、このの記号が多く使われている。

その数は異様なほどで、多くの人がつい目についてしまうほどだろう。

 

そしてこの丸のヒントは、OPの映像から得ることができる。

この曲はOPで使用されたものであり、MVのほかにOP映像版もあるのだが、OPは基本的に物語の始まり、これまでの概略、そしてこれから起こることの予期として作られている。

 


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映画の序として、映像ではパワーを預けに行くところから始まり、デートや爆発の予感を感じさせるものだが、その中心はマキマからの支配を示している。

マキマはネズミや鳥などの生き物の耳を借りることができる能力を持っており、本編ではネズミを中心としてデンジたちの監視をしている。

その監視を暗示し、マキマの瞳を連想させるのがだ。

 

曲の前奏部分では、歩行のリズムが彼らの人生の交差を示していると先ほど述べた。

このとき、デンジの白い靴に対し、レゼは黒い靴を履いており、二人の交差しえなかった人生の対比にもとれるが、共通するのは丸い模様……

ともに、マキマの手のひらの上ということだろう。

 

 

IRIS OUTと丸については、下記の記事がとてもよく考察されていたため、ご参考にどうぞ↓↓↓

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そしてもうひとつ、丸と対比する形で出てくるのが、四角だ。

 

たばこのケース、非常口ランプ、パン…

丸ほどの頻度ではないものの、何かを示唆するような形で現れる四角。

これらはおそらく、マキマの直接的な支配下にないものを暗示していると予想される。

 

 

これらを踏まえた上で、IRIS OUTの示す、「トホホ」な展開をみていこう。

 

 

3. 恋に溺れる少年

映像の最初は、まさにデンジの恋模様を示すもの。

学校探検の夜を連想させる蜘蛛と月から始まり(恋心が生まれる場面)、マキマの髪色と丸を連想させる信号(マキマへの思い)から、レゼの瞳の色を連想させる緑の非常口ランプの四角(レゼへの思い)へと映像は切り替わっていく。

 

 

駄目駄目駄目
脳みその中から「やめろ馬鹿」と喚くモラリティ
ダーリンベイビーダーリン
半端なくラブ!ときらめき浮き足立つフィロソフィ

 

「駄目駄目駄目」の部分の映像では、赤の歩行者信号(四角)と走るデンジ。

そこで、デンジは、レゼの笑顔に一目ぼれをする(デンジは女性に惹かれているとき眉を寄せて真顔になる)。

次の歌詞のモラリティというのは道徳や倫理観。

デンジの中の、道徳や倫理観を司る理性が、レゼに惹かれる自分に対して「やめろ馬鹿」と訴えかけているということだ。

 

それはなぜか?

この時点では、心に決めた人(マキマ)がいるからだ。

 

一方でフィロソフィとは、人生哲学を意味する。

つまり、これまでの人生経験から得たデンジの哲学(女性とのあれこれを経験したい欲)は、映像のとおりだとマキマとのデートに浮かれっぱなしだし、レゼとの逢瀬にもワクワクしっぱなしというわけだ。

 

すべての部分に言えることだが、これはレゼやマキマだけでなく、誰かひとりの好きな人に入れ込んで理性が働かない様子を示しており、多くの人が共感できるようになっている。

 

死ぬほど可愛い上目遣い
なにがし法に触れるくらい
ばら撒く乱心
気づけば蕩尽
この世に生まれた君が悪い

 

ここでは、マキマ、レゼ、の二人の可愛さに翻弄される様子が描かれている。

面白いのはマキマの上目遣いとレゼの上目遣いの仕方の違い。マキマが顎を引く形で上目遣いするのに対し、レゼは首をかしげて目を細めほほ笑む。

前者は庇護欲を掻き立てるしぐさであり(マキマさん強すぎてあんまり庇護欲わかないけど)、後者は慈愛を感じるものとなっている。

どちらにしろ、何かしらの法に触れるのでは?というレベルの可愛さで、デンジは心を乱され、その心を二人に捧げまくってしまう。

この世に君がそんなかわいく生まれてしまったんだから、こんなに心奪われるのは仕方ないことだ、と。

ちなみに、マザーテレサの言葉に「人は一切れのパンではなく、愛に、小さなほほえみに飢えているのです。」というものがある。デンジにとっても、きっとそうだったのだろう。

 

ここの「蕩尽」は財産の徹底的な非生産的消費、すなわち生産に還元されない無駄な消費を指す言葉。

カフェに通い詰めてるので散財の意味もあるかもしれないが、この場合は、どちらかというと心のエネルギーを使い果たすという意味合いが強いだろう。

 

それもこれも、相手が可愛すぎるせいであり、映像も歌詞も、その可愛さに翻弄されている様子が描かれている。

 

やたらとしんどい恋煩い
バラバラんなる頭とこの身体

これだけ心を乱され、心のエネルギーを消費し、なおかつモラリティとの葛藤を感じていれば精神的にもしんどいことだろう。

特にここからは、カフェでのやりとりや学校探検によって、レゼに心を振り回される番となる。

 

頭ではやめろと理性が言っているにも関わらず、レゼの元へと向かってしまうし、つい手をつないだり、プールで裸で遊んだりと、理性とは正反対の行動ばかりとる身体。

 

頸動脈からアイラブユーが噴き出て
アイリスアウト

そしてデンジは完全にレゼのことを「好きイ!」となるわけだが、

ここで一つ目のアイリスアウト。

デンジの「トホホ」だ。

 

歌詞としては、口から出る前の頸動脈あたりで「好きぃ!」があふれ出てしまうくらい相手に夢中ということだが、デンジの場合はもう一つ直接的な意味合いを含んでいる。

 

そう、

頸動脈をスッパーーーーーーンだ。

 

レゼはソ連のスパイであり、デンジ(チェンソーマン)の心臓を狙う一人だった。そして、レゼの告白をあいまいに濁したデンジに対し、レゼは唇を奪うとともに舌をかみ切り、そして頸動脈をスパンと切ってしまう。あとエンジンを吹かそうとした手も。

自分のことを好きだとおもっていたのに、相手はスパイで、罠だった。

まさに「トホホ」、アイリスアウトである。

 

 

一体どうしようこの想いを
どうしようあばらの奥を
ザラメが溶けてゲロになりそう
瞳孔バチ開いて溺れ死にそう
今この世で君だけ大正解

 

ここでの歌詞は、恋に溺れ、相手のなすことすべてが正義であるというまで「盲信」してしまっている様子を描いている。

胸の奥の想い、というものを「あばらの奥」と表現するところがチェンソーマンの世界観にあっていて何気に好きだ。

 

「ザラメ」とは茶色く、少し大きめの粒の砂糖、「ざらめ糖」のこと。

よく昔の喫茶店などには白い砂糖ではなくこのザラメが置いてあり、コーヒーや紅茶が苦くて飲めない場合などに入れて飲むものだ。

 

デンジは、レゼにお礼としておごってもらったコーヒーが苦くて飲むことができなかった。

あの後、飲めないコーヒーを前に、デンジはどうしただろうか。

すでにレゼには飲めないことがばれている手前、あのデンジなら遠慮なく目の前のザラメをコーヒーにドバドバ入れたのではないだろうか。そして甘くなった激甘コーヒーを一気に飲み干し、「これならイケるぜ」とか言いそう。

 

このザラメ、粒が大きいためすぐにはなかなか溶けない。

そのため、ザラメを入れて最後に残ったコーヒーは、ほんの少しの苦みと気持ち悪くなるくらいの甘さを味合わせる。まさに「ゲロ甘」。

また、一気に口に入れたザラメは、おなかの中でじっくりと溶け、吐き出す息を甘ったるくさせるかもしれない。

デンジにとってのレゼとの日々は、甘く、しかも時間が経つほどより甘くなる、そんな想いを味合わせてくれるものだったのだろう。

 

ちなみに、人間は大事な場面において、重要な情報を取得しようと瞳孔を開く。

命の危機に瀕する時や、好きな人を目の前にした時。

デンジもまた、レゼのことをもっと知ろうとして、レゼのいろんな面を知り、混乱して、たくさん考えたことだろう。

 

レゼの正体がわかった戦闘時でも、デンジはレゼに対して「殺す」といった言葉は使わず、「逮捕」という言葉を使うほど甘く、「好き」といわれれば揺らいでしまうし、レゼが足を無くして台風君の血でもどった下りでは「よかった」「よくねえ」と矛盾する感想をつい口にしてしまっている。

 

それほど、デンジにとってレゼへの想いは、理性で割り切れるような簡単な感情ではなかったのだ。

 

学校のことや泳ぎの仕方など、デンジに「正解」を教える立場だったレゼ。

そんな彼女に、デンジはどう戦ったのか。

 

 

4. 物語の結末

ひっくり返っても勝ちようない
君だけルールは適用外
四つともオセロは黒しかない
カツアゲ放題

 

ここの歌詞では、「大正解」なほど盲信してしまっている相手に対して、こちら側が有利に立つことなどできない様子を示している。

そこには理性がないためどんなルールも意味をなさず、最初からすべて黒のオセロで始めたようなもので勝ち目などまったくない。

当然、カツアゲ放題だ。

 

君が笑顔で放ったアバダケダブラ
デコにスティグマ 申し訳ねえな
矢を刺して
貫いて
ここ弱点

しかし、ここで展開が変わる

アバダケダブラとは、ハリーポッターに出てくる強力な死の呪文であり、本の中で最も恐れられる敵が赤ん坊であった主人公のハリー(やその両親)を襲う際に使う。

しかし、ハリーは、おでこに烙印(スティグマ)のような傷をつけられるものの、母親の「犠牲の守り」、つまり愛によってこの強力な呪文を跳ね返す。

つまり、反撃だ。

 

この「盲信」から「反撃」の流れからは、いくつかの想像を膨らませることができる。

ひとつは、男性の性的な意味合い。

この曲は男性側の曲として想像しやすく、この部分の歌詞は恋する相手に夢中になって言いなりになっている男性の、唯一立場の逆転しそうなベッドでの状況を表しているようにも思える。

 

とはいえ、チェンソーマンの主題歌であることを考えれば、まず思い浮かぶのはデンジ→レゼだ。

チェンソーマンの盲信の種類は、デンジ→マキマの支配によるもの、ビーム→デンジの崇拝によるもの、そしてデンジ→レゼの恋(教授)によるものがある。

デンジは喫茶、学校、祭りでのレゼの誘いを断ることができず言いなり状態。特に学校ではレゼがデンジに学校のことや泳ぎを教える教師側となっている。教師とは生徒に「正解」を教える存在。つまり「大正解」な相手だ。

しかし、戦闘シーンに移り変わると、レゼはデンジに「デンジ君の心臓もらうね」(つまりは「アバダケダブラ」)と攻撃するが、それに対しデンジはチェーンを使って抱きしめる(そして海にダイブ)という予想外の方法でレゼに勝つ(デコにスティグマ状態)。

つまり、死の呪文に対し、愛で反撃したのだ。

レゼにとって水が「弱点」という点からも、ここの歌詞はデンジの恋の「盲信」からの「反撃」としっくりくるような気がする。

 

そうなると「矢を刺して 貫いて」の部分はどうなるだろうか?

漫画や映画のなかに、デンジが矢を使って反撃するシーンはない。

ということは、この矢とは精神的なもので、デンジの行動が天使(キューピット)の矢のごとくレゼの心を貫いて、それによりレゼも恋に落ちた、とする解釈もできる。

特に砂浜のシーンでは、デンジから「一緒に逃げねえ」とレゼに提案しており、これが、レゼをキュンとさせたともいえる。

つまり、デンジはレゼの弱いところを見事に見抜き、最高の口説き文句を言ったのだ。(レゼに関する詳しい考察は「JANE DOE」参照)。

 

 

しかしながら、実は、作中には忘れてはならない、「刺して貫かれる」部分がある。

 

そう、最後のレゼが殺される場面だ。

 

この歌詞の部分が、マキマを含めた3人の物語だとすると、以下の通り。

「アバダケダブラ」→レゼがデンジの心臓を狙う

「デコにスティグマ」→デンジの心の傷

「矢を刺して 貫いて」→マキマの反撃、レゼの心臓に天使の槍を刺し貫く

 

最初の「アバダケダブラ」はやはり「デンジくんの心臓もらうね」のシーン。ここでレゼはチェンソーをふかそうとするデンジの手を切断し、心臓を取ろうとする。

そして最後のマキマとの戦闘では、レゼはデンジへの攻撃をまるまる跳ね返されたかのように、手を切られ、心臓を貫かれる。

そうして、デンジの心に烙印ならぬ恋の傷を残し、レゼはこの世を去ってしまう。

 

動物の耳を借りることができるマキマは、レゼが現れたことをいち早く知っていたはずだ。それにもかかわらず終盤までレゼを殺さなかったのは、デンジにとってレゼが大事な存在になるのを待ち、それを奪うためだろう。

そしてデンジと同様、映画終盤、レゼにとってもデンジは大事な存在となっていた。

そんなレゼは、マキマと戦う際にボムになることを選ばずに戦ったように思える。これはデンジやカフェ二道への被害を考慮してのことかもしれない。

そんなレゼを見てマキマは、「あ、ここ(デンジや二道)弱点?」と嘲笑うかのようにあっさりと彼女を殺すのだ。

 

 

さて、ここでOP映像のマキマ食事風景を見てみよう。

マキマの朝食(劇場版『チェンソーマン レゼ篇』オープニングムービー  主題歌:米津玄師「IRIS OUT」“Chainsaw Man – The Movie: Reze Arc” – Opening Movie より引用)

 

最初に見たときは「朝からよく食べれるな~」と思ったんだが、よく見てほしい。

メインともいえる食パンを二枚も食べている。

四角はマキマの支配下に(まだ)ないものを示し、レゼやデンジもそれにあたる。

そして今回の主役である二人。

つまり二人はこの食パンだ。

そして、その周りは「丸」に囲まれ、最後はマキマに食べられる。

 

 

おい、MAPPA、

 

やってくれたな………!!!!!(本当にありがとうございます。)

 

 

5. 恋に溺れてしまった女

死ぬほど可愛い上目遣い
なにがし法に触れるくらい
ばら撒く乱心
気づけば蕩尽
この世に生まれた君が悪い

 

ここで再びBメロへと戻る。相手に魅了されている、といった趣旨の歌詞だ。

ここでは下着姿のレゼ、マキマが比較されるような形であおむけに寝ころぶ様子をデンジが想像しているシーンなのだが、映画版ではデンジもまた同じようにあおむけに寝た体勢になっている。

つまり、デンジもまた、魅了する側だということだ。

 

実際、デンジはかっこいいというよりは、その幼さからかわいいのほうが形容としてはあっているだろう。

ちなみに、犬が飼い主に見せる甘えた上目遣いは人に飼われる歴史の中で生み出されたものであり、その可愛さが人を魅了してきたからこそ残った特徴である。

 

 

パチモンでもいい何でもいい
今君と名付いてる全て欲しい

 

とはいえ、「この世に生まれた君が悪い」まではどちらかというと一番と同じ構成で、デンジ主体といえなくもない。

しかしながら、この「パチモンでもいい何でもいい」の歌詞からは、祭りの告白シーンが被せてあるのだが、完全に「欲しい」と言っているのはレゼなのである。

つまりここから、レゼ主体が始まる。

 

この祭りのシーンで、レゼは、レゼの提案を断ったデンジに対し、「私の他に好きな人いるでしょ」と答える。これは、武器として使われるだけだったレゼにとって仕事のやりがいも兄や妹のような存在も想像のできないものであり、デンジもそうだと思っていたのだろう。

その後レゼは、デンジにキスをしてその舌をかみ切る。この理由としては単純に、悲鳴をあげさせないということが考えられるが、一方で、上記のセリフのあと返答を聞かずにこのような行為に及んだ点から「好きな人のことなどその口から聞きたくない」という嫉妬心とも受け取れる。

 

そんな嫉妬心に駆られたレゼは、デンジの心臓を取っていこうとする。

この心臓は実際にはポチタなわけだが、レゼはここで「デンジ君の」心臓と呼ぶ。まあデンジのものではないので「パチモン」なわけだが、そうであろうとその命ごと、「デンジ君の」ものすべて私のものにしてやろうという所有欲の現れともとれるのだ。

こんな(権力争いのすさまじい)世の中に生まれた君が悪いのだ、だから命ごと私のものにしてあげる、と。

 

しかしながら、それはビームによって阻止される。

その際、レゼは「泥棒」というセリフを使う。

出会った当初の「飼ってた犬に似てる」、告白シーンの「守ってあげる」、そして「泥棒」という言葉のチョイスからは、レゼがデンジを守ってあげたい対象だと捉えていることがわかる。

 

あと、完全な妄想だけど、レゼは絶対犬を飼ってた。私の直感がいう。妄想だけど。

ただ、「飼ってた」という表現は合っていないかもしれない。レゼは爆弾の悪魔という特質上、戦争や紛争地域での仕事も多かったはず。その中で、やせ細り、たばこでもなんでも食べようとする野良犬と出会ったことがあったかもしれない。そんな自分と同じような境遇の犬と触れ合い、ほだされ、けれども結局守り切れなかった経験があったに違いない(爆弾を背負合わされて敵に突っ込まされたとか、ボムの破壊した瓦礫に押しつぶされたとか)。私の感が言っている。妄想だけど。

 

何も知らない、使われるだけの犬。そんなデンジを守ってあげたい、そしてすべて自分のものにしたいという思いがレゼの中に芽生えていたことは確かだろう。

 

 

ちなみに、間奏には「ダーリン」と「ベイビー」という掛け合いが流れる。

これらは恋人は夫婦間でよく使われる相性であり、

ダーリンの意味は「最愛の人」。

そしてベイビーの意味は「守ってあげたい存在」。

 

 

頸動脈からアイラブユーが噴き出て
アイリスアウト

アイリスアウト

アイリスアウト

 

そしてサビの「頸動脈からアイラブユー」へとつながっていく。

一番では、おそらくデンジの頸動脈スッパーーーーーーーーンがこの歌詞にかかっているが、二番でかかっているのは、

 

頸動脈ボンっ!!!!!!!

 

そう、レゼの変身シーンだ。

レゼは首のピンを引き抜くことで首から上が爆発し、ボムへと変身する。

全てほしいと所有欲全開で願った相手を連れ去られたレゼは、その愛のような感情を爆発させる。

 

しかし、ビームを倒し再び手に入れたと思いきや民間のデビルハンターが邪魔してまた失い、対魔2課に邪魔され、アキに邪魔される。

そして復活したデンジはビームとともに這いまわって応戦し、もう戦闘はめちゃめちゃ状態。

 

レゼ目線からすれば、「トホホ」(アイリスアウト)展開目白押しなのである。

 

 

 

一体どうしようこの想いを
どうしようあばらの奥を
ザラメが溶けてゲロになりそう
瞳孔バチ開いて溺れ死にそう
今この世で君だけ大正解

 

レゼの恋心についてはJANE DOEのほうで深く考察しているが(『JANE DOE』を自分勝手に解釈してみた参照)、レゼは同じような境遇のデンジに親しみを覚え、彼との日々に幸せを感じていたと思われる。

そんなあふれ出てしまいそうな、ザラメのような甘い初恋は、きっとレゼにとっても初めての経験だったに違いない。

 

そこに、デンジの「一緒に逃げねえ?」だ。

こちらも上記記事(『JANE DOE』を自分勝手に解釈してみた参照)で考察しているが、レゼは最後に田舎のネズミではなく、好きな人との日々を求めていた。もしかすると、普通の女の子のように、この地獄のような日々から連れ出してくれる王子様を求めていたのかもしれない。

そんな彼女に、デンジの言葉は大きく響いたことだろう。

まさに、「大正解」だったはず。

 

 

そして、恋に溺れてしまった少女の行く末は、

暗い路地裏で円状に広がる血のなかで迎える最後である。

 

 

6. 水をつかむ

最後に、一番最初の映像について考察したい。

レゼが水に手を入れる動作をする映像だ。

こちらは水の内側の視点で、レゼは水をつかむような動きをする。

 

この映像の解釈のため、以下の詩を紹介したい。

 

 

「水のこころ」 高田 敏子

水は つかめません

水は すくうのです

指をぴったりつけて

そおっと 大切に———

 

水は つかめません

水は つつむのです

二つの手の中に

そおっと 大切に———

 

水のこころ も

人のこころ も

 

 

 

高田敏子さんのとてもきれいな詩だ。

水のこころも人のこころも、つかむものではなく、すくうものなのだ。

レゼはデンジの心をつかもうとしたのかもしれない。

しかし最後、デンジはレゼのこころをすくったのではないだろうか。

あの海の中で。

 

 

7. 最後に

いや、長っ

 

めちゃ長くなっちゃいましたね。

うん、すみません。

でもそれだけいろいろと考察はかどる作品であったことは間違いないです。

 

実際、まだまだ考察に書きたかったことはたくさんあるんです。

たとえば、キリスト教との関係など。

チェンソーマンはキリスト教の話を基にした部分が多くあり、デンジの苦難はイエスの苦難と重なるところも多い。

そのイエスはよくその聖心を示すものとして、心臓の絵が一緒に描かれるのですが、その隣に並ぶ聖母マリアの絵にも、マリアの心臓が描かれているんですね。

そして、そのマリアの心臓には、剣や槍が刺さっている。

 

そう、今回のチェンソーマンとも重なりそうな話です。

この剣(槍)はマリアのイエスに関わる深い悲しみを表現しており、母親を求めるデンジの心象とも関係しそうで、考察しがいがあります。

それに、プールでのレゼのポーズは聖母マリア像とも似ていますよね。

とはいえ、マキマはデンジの母親との関係で描かれていますが、レゼは異性との初恋が描かれているため、どちらかというとマグダラのマリアのほうが近いかもしれません。

 

マグダラのマリアは、イエスのお話の中に描かれている女性の一人。

イエスと結婚していた、という説まである女性です。

宗教の派閥の関係で持ち上げられたり、いろんな女性の話が混ざったりと、複雑な女性像ではありますが、現在では「悔悛したマリア」というイメージが強いかもしれません。

 

悔悛とは、悔い改めること。イエスのおかげで、過去の過ちを後悔し、心を入れ替えた、という話からきています。

うん、

 

レゼと重なる~~~~~~~~~~~~

 

 

と、またまた長くなってしまうところでした。

 

手短にまとめると、

 

IRIS OUT、めっちゃいい曲だよ!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

JANE DOEの考察はこちら↓↓↓

 

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他、米津氏の考察はこちら↓↓↓

 

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