『BOW AND ARROW』を自分勝手に解釈してみた

 

もうね…

 

泣くやんこんなの(´;ω;`)ウゥゥ

 

 


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今回考察するのは、こちら。

米津玄師氏による「BOW AND ARROW」。

フィギュアスケートをテーマにしたアニメ『メダリスト』のOPに使われており、原作ファンの米津氏が逆オファーしたということでも話題になっていますね。

 

アニメ「メダリスト」OP映像↓↓↓


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また、先日公開されたMV(一番最初に貼り付けた動画です)にはフィギュアスケート界の神とも呼べる羽生結弦氏が登場し、音楽界・フィギュアスケート界の両方が騒然となりました。

 

実際、ショートプログラムの尺で作られたこの曲では、羽生選手のショートプログラムバージョンもあります↓↓

 


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米津氏は、上記の映像とともに公開された羽生氏との対談や、公式サイトの作者つるまいかだ氏との対談で、こう述べています。

 

「あなたはあなたで大丈夫」という相手を全肯定する応援歌

 

対談のなかでは、2017年に発表され、大ヒットを記録した米津氏の「ピースサイン」の”先”の曲として「BOW AND ARROW」が語られています。

「ピースサイン」は、子どもの目線での曲であったのに対し、今回の「BOW AND ARROW」は、支える側としての曲。

〇〇がすごい、○○がだめとかではなく、あなたはあなたのままで大丈夫、全肯定して背中を押す曲だとおっしゃっています。

 

ここで米津氏の描いた曲のジャケットを見てみましょう。

 

 

完全に司目線!!

氷上へ送り出したあとのいのりちゃんですが、そこに、最初のバッジテストや試合で感じていた不安や緊張はなく、安心して輝いている、そんな印象を受けます。

それはきっと、孤独な氷上であっても、自分を全肯定してくれる司の存在があるからなのでしょう。

 

「……じゃあ… 先生も信じてる?金メダル獲れるって…」

「信じてるよ」

 

「任せて」

 

『メダリスト』6巻より

 

おそらくアニメ最終話にくるであろうブロック大会では、司を信じて、「任せて」といえる強さをもった人間になったいのり。

最初に見たときから、司は「ただ滑っているだけなのに 通った後に星が舞うように見える」と表現していますが、このジャケットではその煌めきをより増したいのりちゃんが描かれていますね。

司の目には、こんなふうに映っているんだなあと、見た瞬間涙がちょちょぎれました。

 

ということで、前置きが長くなりましたが、今回は支える側である「BOW AND ALLOW」を原作『メダリスト』に沿いながら考察・解釈してきたいと思います。

 

 

以下、歌詞は「BOW AND ARROW(作詞・作曲・編曲 米津玄師)」より引用しています。

 

 

1. 出会い

イントロでは、司といのりを中心に、メダリストに登場するコーチと選手が次々と登場する。

メダリストは単純なスケート競技の物語ではなく、その主題は「師弟関係」。

競技をおこなう選手だけでなく、「支える側」であるコーチ側の視点も、物語の根幹となっている。

そして、この曲もまた師弟関係を描いてあり、とくに「支える側」の主人公である「明浦路司」の視点となっている。

 

気づけば靴は汚れ 錆びついた諸刃を伝う雨

憧れはそのままで 夢から目醒めた先には夢

ここでは、司の過去が紹介されている。

汚れた靴、錆びついた諸刃は映像からもわかるように、手入れのされていないスケート靴とそのブレードのことで、すでに氷上から退いたことを示している。

そしてそこに伝う涙のような雨。

まさに、物語が始まったときの司の状況だ。

 

主人公である司は、フィギュアスケートに憧れるものの、始めた年齢が遅く、選手としての夢がかなわないまま「シングル」から「アイスダンス」の選手へ、「現役選手」から「アイスショー演者」へと夢を変えながらも氷上にしがみついていた。

 

シングルからアイスダンスへ

「現役選手」から「アイスショー出演」へ

行き着く現実に合わせて夢の形を変えて

なんとか「フィギュアスケート」にしがみついている

『メダリスト』 1巻より

 

フィギュアスケートへの憧れがずっと胸から消えないまま、夢破れた先でも、なんとかつながっていようと夢の形を変え、夢を追い続けているのだ。

 

聞こえたその泣き声 消えいる手前の咽ぶソワレ

憧れのその先へ 蹲る君を見つける為

 

そんな状況のなか、聞こえてきたのは消え入るような「泣き声」。

そう、いのりちゃんとの出会いである。

世界の終わりのような顔で、諦めなくちゃと頭では思いつつも、諦めきれない憧れと氷上に賭ける執念をもって、小さな声で泣いていたいのり。

「ソワレ」とは陽が暮れた時間帯を指す言葉で、ミュージカルなどでは「夜公演」のことをいう。

つまり、いのりのフィギュアスケートの物語は、今にも終わってしまいそうな状況だったのだ。

 

そんないのりを見つけた司は、彼女を氷上へと導く。

ずっと胸の内から消えない「自身がフィギュアスケート選手として氷上で滑る」という憧れは、さらに先へと進み、「いのりをフィギュアスケートの選手として後押しする」というものへと変化した。

氷上から陸へ、残りの人生をかけた新たな夢へと踏み出したのだ。

すべては、うずくまって泣いていたいのりを見つけ、氷上へと連れ出し、彼女を、彼女が夢みるメダリストにするために。

 

 

2. 成長するいのり

行け 行け 追いつけない速度で 飛べ 飛べ インパルス加速して

行け きっとこの時を感じる為に生まれてきたんだ

そして、司の指導のもと、いのりは爆速で成長していく。

当初、スケーティングも知らなかった少女は、初めてのバッジを得て、ライバルとなる光と出会い、名港杯(初級)で覚悟を決め優勝。

続く西日本大会(1級)ではケガをしつつも初めてのメダルを手にし、二度目の名港杯では5級で優勝を決める。

そして、大きな壁である6級を理鳳とともに乗り越え、いのりはとうとうライバルである光と同じ土俵にあがった。

そこで迎えたブロック大会。

 

「今日 俺はあなたを金メダリストにする」

『メダリスト』5巻より

 

いのりは、司から習得したスケーティングで誰よりも速く、上手く、そして完璧に舞い、そして、「2回転アクセル+オイラー+3回転サルコウ」のコンビネーションを飛んだ。

 

この歌詞には、競技を見守る司の想いが込められているのだろう。

ここで使われているインパルスには力積という意味もあるが、個人的には神経応答の意味が妥当かと考える。

神経伝達には跳躍伝導というものがあり、簡単にいうと、ジャンプして活動電位を伝えることで、通常よりも圧倒的に速く情報が目的地へと伝わるのだ。

 

上手くなったスケーティングで、練習して獲得したジャンプで、誰よりもずっと先へ先へと進んできたいのり。

そして得た、金色のメダル。

 

このとき感じた気持ちは、司も、いのりも、きっと何物にも代えがたいものだったはずだ。

 

未来を掴んで 期待値を超えて 額に吹き刺す風

今に見なよ きっと君の眩しさに誰もが気づくだろう

相応しい声で 視線追い越して 虚空を超えて行け

見違えてく君の指から今 手を放す

いのりは、フィギュアスケートの選手という未来への切符をつかみ、まったく期待されていなかった過去は感謝とともに越え、今では風を切りながら氷上を舞う。

 

このいのりの眩さに誰もが気づくこと。

これは、司にとって、コーチとしての最上の喜びに違いない。

 

いのりには、そんな彼女にふさわしい歓声を受けながら、視線を追い越すほどの速さで、孤独な空間である氷上を駆け抜けていってほしい。

そんな想いと確信をもって、どんどん成長して見違えていく彼女の指から手を放し、司は、何度もいのりを孤独な氷上へと送り出すのだろう。

彼女を信じて。

 

 

3. 1番と2番の「手を放す」の違い

ここまでが、アニメOPに使われている一番。

おそらく、アニメ全13話までの話(始まり~ブロック大会)までが描かれているのではないかと思う。

※最終話の情報はまだですが、おそらくブロック大会で金メダル🥇をとるところまでかな?

 

実際、米津氏は作者つるまいかだ氏との対談で、OPの作成時には「要約」と決めているそう。

 

一応の基軸として、オープニングとエンディングがあるアニメで言えば、オープニングを作る時は物語の「要約」、エンディングを作る時は「余韻」っていう風に最低限決めてはいますね。

スペシャル|TVアニメ「メダリスト」公式サイト

 

 

ところが、今回、アニメ尺分を作成した後にしばらく間が空いた米津氏は、フル尺をつくる頃には「やりたいことが変わった」と述べている。

聞いてみるとわかるが、アニメ版とフル版ではアレンジ等も異なる曲となっている。

 

では、新たにつくられた二番は何を表現しているのだろうか?

 

私は、この二番こそ、まさにタイトルの弓を放つ瞬間なのではないかと感じた。

 

一番までは背中を押すという意味合いで使っていた「手を放す」。

まさに、選手を氷上へと送り出す瞬間である。

ここでは、氷上では選手は孤独ではあるものの、選手とコーチは二人三脚で数々の試練を乗り越えていくことを表していた。

 

一方で、二番の「手を放す」。

これは、この先、いのりが司のもとを離れて生きていくための、「手を放す」なのかもしれない。

 

 

4. 届かない場所へ

気づけば謎は解かれ 木目ごと見慣れた板の上

あの頃焦がれたような大人になれたかな

「どうやったらうまく滑れるのか」

「どうやったらジャンプできるのか」

「どうやったら、メダルが獲れるのか」

 

フィギュアを続ければ続けるほど出てくる謎は、解くたびに己の成長へとつながったはず。

そして、司にとっての最後の問いの答えは、

 

「獲れない」

 

だった。

 

だが彼は、氷上から陸にあがり、新しい夢に人生をかけることにした。

 

次にでてくる「木目ごと見慣れた板の上」は「俎上の魚」の例えだろうか。

「俎上の魚」とは、「まな板の上の鯉」と同じ意味で、「木目ごと見慣れた板」とはまな板のことだろう。

つまり、「氷の海」ともいえる氷上を「泳ぐ」ように舞っていた自分が、陸に上がった今、選手であるいのりに運命を任せる状況を指しているのかもしれない。

 

そして、まな板の上の魚で大事なことは、立派な成魚であることだろう。

それは、選手としていい成績をおさめた、といったことではなく、いのりにとっていい「大人」であることじゃないだろうか。

 

始めた年齢も遅く、コーチもなかなか見つからなかった司。

そんな「子ども」だったころの司にとって、最も欲しかったのは、自分を信じてくれる「大人」だったことだろう。

 

物語の始まりでは、いのりも司と同じ状況であり、司はそんな彼女と自分を重ねていた。

つまり、いのりにとっていい「大人」であることは、「子ども」だった自分が憧れていた「自分を信じてくれる大人」に自分がなるということに他ならない。

 

そう君の苦悩は君が自分で選んだ痛みだ

そして掴んだあの煌めきも全て君のものだ

そんな「大人」だからこそ、司はいのりに選択をさせる。

選択してきた道が自分を創り上げるという「覚悟」を持たせるため。

そしてそれは、いつか、司がいなくなっても、いのりの人生の柱となるように。

 

僕は弓になって 君の白んだ掌をとって強く引いた

今君は決して風に流れない矢になって

司は、「スケート」をしたいという強い想いで握りしめて白くなっていたいのりの手をとり、一緒に成長してきた。

原作もまだ物語の途中ではあるが、この先、いのりは、だれよりも強く、しなやかな、風を切って飛ぶ一本の矢といえるほど、成長を果たすことだろう。

 

行け 決して振り向かないで もう届かない場所へ

行け 行け 君はいつだって輝いていた!

いのりは、もう司がたどり着けない、誰も見たことのないフィギュアスケートの高みへと一気に駆け上っていくはずだ。

自分で選び、戦い、迷って、そして突き進む。そんないのりは、きっと、どんなときであろうとも輝いていることだろう。

あなたはあなたで、最初からずっと素晴らしい。

そんな、司の全肯定が、彼女を一本の矢にしたのだ。

 

未来を掴んで 期待値を超えて 額を吹き刺す風

今に見なよ きっと君の眩しさに誰もが気づくだろう

相応しい声で 視線追い越して 虚空を超えていけ

見違えていく君の指から今 手を放す

この曲のタイトルである「弓と矢」に関して、曲に対するコメントの中にはカリール・ジブランの詩を思い出した人がちらほらといた。

私もそのひとりである。

カリール・ジブランの「預言者」という詩集には、「子供について」という項目で以下のように綴られている。

 

子供に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。

子供には子供の考えがあるからです。

(略)

あなたは弓です。その弓から、子は生きた矢となって放たれていきます。射手は無窮の道程にある的を見ながら、力強くあなたを引きしぼるのです。かれの矢が速く遠くに飛んでいくために。

あの射手に引きしぼられるとは、何と有難いことではありませんか。

なぜなら、あの射手が、飛んで行く矢を愛しているなら、留まっている弓をも愛しているのですから。

「預言者」カリール ジブラン著、佐久間彪訳 より

 

この詩集では、親と子は別の存在であり、親は子に愛を与えても考えを押し付けてはいけないと説いている。

そして、親の役目は、子が矢のように未来へと飛んでいけるように、自身が弓となって精一杯身を引き絞ること。

 

この曲でいう「選手」と「コーチ」、「子ども」と「大人」は、この詩でいうところの「子」と「親」にあたると思われる。

司は支える側である「大人」として、いのりを一人の人格として扱い、愛し、そして精一杯自身を引き絞って、きっとその手を放すだろう。

そして、放たれたいのりは、まだ誰も見たことのない景色をその目で見つけるはず。

 

ここでいう射手はおそらく神のことだが、運命であったり世界であったり、人生ともいえるかもしれない。

フィギュアスケートを始めるのが遅かったり、コーチが見つからなかったり、環境が悪かったり、怪我に見舞われたり。

人生はいいことばかりでなく、ほんとうにたくさんのことが起こる。

けれども、そんな過去もまた愛すべき人生であり、そしてそんな人生の軌跡を表現するのがフィギュアスケートなのだろう。

 

 

5. 司の奇跡

司は、コーチとしての実力が高い。

瞳先生にも認められているし、夜鷹純にも「いいコーチ」と認識されている。

これは、鷹の目であったり、アイスダンスの経験であったり、他人に対してポジティブな面であったりと、過去の経験があったからこその結果だろう。

 

なかでもすごいのは褒め上手なところ。

司の苗字「明浦路」は太陽神アポロンからきており、太陽が周りを明るく照らすように、司は他人に対しては、明るくポジティブで、ほめ方のボキャブラリーと圧がすごい。

 

この「他人のいいところを見つける」という特技はの起源は、彼の過去にある。

司には20歳になるまで教えてくれるコーチがいなかった。

その分、人一倍他人のいいところを丁寧かつ繊細に見つけ出し、そして自分のものにする、という自己流の練習方法で、彼は最終的に夜鷹純の技術まで獲得してきたのだろう。

つまり、彼の「他人のいいところを見つける」という特技は、彼が不遇だったからこそ生まれたものなのだ。

 

司の過去の軌跡。それこそが、彼のいのりに対する全肯定を生み、そしていのりの夢へとつながっている。

 

「フィギュアスケートは 奇跡を見守るスポーツなんだ」

『メダリスト』6巻より

 

まさに奇跡のスポーツだと私も思う。

けれども、この奇跡は、才能も、運も、環境も、決断も、これまでの全てがあるからこそ起こる奇跡だろう。

 

フィギュアスケートのフィギュアとは、もとは図形(figure)のことを指し示す。

当初、フィギュアスケートは氷上に図形(figure)を描くスポーツだったことが発端らしい。

氷に刻む様々な軌跡。これは、まさに選手の人生の軌跡であり、奇跡なのだ。

 

そして、これから描くいのりの軌跡には、きっと、司の軌跡が折り重なって支えていることだろう。

 

 

 

 

 

ということで、アニメ『メダリスト』のOPテーマ「BOW AND ARROW」を考察・解釈してみました。

全肯定してくれるこの曲は、誰の人生においても背中を押してくれる応援歌となることでしょう。

この曲はもちろんのこと、原作・アニメのどちらも、胸の芯にぐっと食い込んでくる作素晴らしい作品です。

『メダリスト』も「BOW AND ARROW」もみんなで応援していきましょう!

 

 

 

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