JOJO5部『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』を自分勝手に解釈してみた

 

 

TVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』、とうとう完結しましたね!

原作はすでに読んでいて好きなシリーズだったのですが、

 

アニメが予想以上によかった!!!

 

漫画の表現演出やちょっとしたアニメオリジナル素晴らしく、本当にJOJO愛のある方々が作ったんだなあと感じる作品でした。

アニメスタッフの方々には感謝しかありません。

さまざまな伏線や解釈を含んでいる作品のため、すでに多くの方が素晴らしい考察をしていますが、ここでは映画『ゴッドファーザー』との比較をしてみた私の感想・解釈を述べています。

ほぼネタバレですので、見視聴の方はご注意を!

 

 

 

 ゴッドファーザーのマイケルについて

まず、比較する作品である『ゴッドファーザー』について紹介したい。

『ゴッドファーザー』は1972年に公開されたマフィア映画だ。映画を見たことのない人もいるかもしれないが、作中で流れている音楽は知っている、という人も多いだろう。

ゆったりとしたリズムだが、厳格さや気品をもった音楽だ。

 


「ゴッド・ファーザー」 愛のテーマ

 


The Godfather – Orchestral Suite. - The Danish National Symphony Orchestra (Live)

 

本作はマフィアものではあるが、この作中音楽のように、激しい戦闘シーンは少なく全体として静かな映画である。

物語の中心となるのは、マフィアのドンであるコルレオーネの三男坊、ミケーレ・マイク・コルレオーネ(通称マイケル)。マイケルは第二次世界大戦中海兵隊に従軍し、英雄として故郷へともどってきた青年だ。

マイケルはマフィアの息子であるものの堅気の生活、つまり表舞台で活躍していた青年であるが、父親であるドン・コルレオーネが襲撃された事件をきっかけに裏舞台であるマフィアの世界へと足を踏み入れていく。

 

この作品中で、マイケルはみなに愛される弟的な存在で幼さを残していたが、表舞台の「過去」を捨て裏舞台に入ることで「自由や童心」を消し去っていく。そして、最終的に彼はドンが大切にしていた「」を捨て、冷酷なボスへと変貌を遂げるのだ。このマイケルが最初とは全くの異なる雰囲気を醸し出している最後のシーンは、まさに、鳥肌ものである。

まとめると、彼は自分の「過去」「自由や童心」、さらには「情」を捨ててマフィアのボスとして君臨したのだ。

 

  『黄金の風』と『ゴッドファーザー』の共通点と相違点

JOJO5部『黄金の風』はこの『ゴッドファーザー』のオマージュ的な部分を含んでいる作品だ。

共通点としてはマフィアの作品であり、マフィアと関係のなかったジョルノがボス(ギャングスタ―)になるまでの過程を描いていることが挙げられる。

『黄金の風』では、ジョルノの精神的な成長というよりはマフィア同士の駆け引きが中心となっていてゴッドファーザーとは異なるが、38・39話の「眠れる奴隷」の回では娘の敵討ちから話が始まるなど、ゴッドファーザーオマージュな部分も見られる。

 

特に注目すべき二つの作品の共通点は、ボスに至るまでの過程である。

『黄金の風』の作中で亡くなるキャラは、アバッキオ、ナランチャ、そしてブチャラティである。

この三人の特徴を見てみると、

・アバッキオは過去の体験に囚われており、「リプレイ」は「過去」を再現するのものである

・ナランチャは幼さの残る顔立ち・性格をしており、「エアロスミス」は飛行機で空を「自由」に飛び回るものである。

・ブチャラティは「」に厚く、街の人々からも信頼されており、最後まで自分の信念をもって行動していた人物である。

つまり、アバッキオは「過去」、ナランチャは「自由や童心」、そしてブチャラティは「情」を象徴しているのだ。

この三つを象徴が作中で欠落するという点は、『黄金の風』と『ゴッドファーザー』の共通点であるといえる。

 

 

映画『ゴッドファーザー』では、マイケルはそれらすべてを捨て、冷酷なマフィアのボスとなった。

ではジョルノもまたマイケルと同様に、冷酷なボスとなるのだろうか。

私個人の考えでは、答えは「否」だ。

もうすでにアニメを見ていた皆さんも同じように感じていると思う。ジョルノはきっと情を大切にし、街の皆から信頼されるボスとなるはずだ。

 

マイケルとジョルノの違いは「過去」「自由や童心」「情」を捨てたのか、受け継いだのか、という点だ。

作中では、アバッキオも、ナランチャも、ブチャラティもいなくなった。しかし、ジョルノは最終話で、矢を捨てずに皆の覚悟を受け継いでいくことを決意した。

ジョルノとマイケルとではここが違う。ジョルノは、すべてを捨てず、受け継いだボスになったのだ。

 

アニメのオリジナルではあるが、最後のシーンでアバッキオやナランチャの近くに咲いていた花、ブチャラティのジッパー、みんなで飲んでいたお酒が部屋に置かれていたこともまた、ジョルノがすべてを受け継いだことを証明している。

 

 

 ブチャラティ、ミスタ、ジョルノの役割

 もう一つだけ、考察したい。

アバッキオやナランチャのスタンドはそれぞれ「過去」や「自由や童心」を象徴していると考察したが、ブチャラティのジッパーは何もないところを開くことができる能力であり、つまり「運命を切り開く」という役割を担っていたと思われる。

 

また、作中でジョルノと数多くタッグを組み、様々な危機を回避してきたミスタのスタンドは銃である「セックス・ピストルズ」。

「銃」はマフィアを象徴するものであり、彼が最後まで生き残ったのは、「銃」がマフィアにとって必須であるからかもしれない。

また、銃弾というものは通常、まっすぐ飛んでいくしかないものである。つまり後戻りはできず、前に進むしかないのだ。しかしミスタのスタンド「セックス・ピストルズ」はその銃弾の方向を変えることができる能力である。つまり、すでに決まってしまっている「運命」を捻じ曲げることができるともいえる。

これは物語中におけるミスタの役割であり、ミスタだからこそ、「眠れる奴隷」の回でブチャラティの運命(つまり軌道)を捻じ曲げることができたのではないだろうか。

 

そして、主人公であるジョルノのスタンドは、無生物を生物に変える能力「ゴールドエクスペリエンス」である。

生物の定義はいろいろとあるものの、大まかにいうと「繁殖するもの」、つまり遺伝子を「受け継いでいくもの」である。

 

ブチャラティが「運命を切り開き」、ミスタがその軌道を「捻じ曲げ」、ジョルノがそれらを「受け継いでいく」。

三人がこれらの役割を担っていたからこそ、定まった運命の中で最強の能力を持つディアボロに勝つことができたのかもしれない。

 

 まとめ

JOJO5部『黄金の風』はとても素晴らしいアニメだった。

原作ももちろん素晴らしい。

漫画が原作のアニメは、原作と異なる部分などが出てくるとどうしても否定的な意見が出てきがちであるが、この作品ではアニメオリジナルにおいて否定的なコメントはほとんどなかったように思える(私が見た限り)。

熱狂的なファンがいるJOJOシリーズでここまで完成度の高い作品を作れたのは、一重にアニメ制作スタッフの方々のJOJOに対する尊敬と愛あってこそのものだろう。

 

荒木先生、アニメスタッフの方々、本当に素晴らしい作品をありがとうございます。

 

 

 

参考文献

・ゴッドファーザー (映画)wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 ・黄金の風 wilipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E9%A2%A8