今更ながら、プロメア見てきました。
いやあ、
素晴らしかった。
物語は王道!好き!
キャラクター設定が絶妙!好き!
CGと手描き要素を組み合わせた漫画的な演出がいい!好き!
シンプルなストーリーの細部に組み込まれた細かな設定や組み合わせの情報量が多すぎて考察したくてたまらない!好き!
私の好きが詰まった作品でした。
「お前は絶対に好きやから見に行こう。損はさせない。」と言って連れて行ってくれた友人に感謝します。
作品PV(ロング)はこちら↓↓↓
映画『プロメア』ロングPV 制作:TRIGGER 5月24日〈金〉全国公開
さて、先に述べたように、『プロメア』の細部には細かな設定がちりばめられており、すでに多くの方が様々な考察をされています。
ですが、せっかくなので私の感じたことについて『プロメア』という概念をもとに考察・解釈してみることにしました。
ネタバレもあるので閲覧の際にはご注意を!
《目次》
① バーニッシュは突然変異?
作品を観た方はご存知の通り、バーニッシュとは30年前に誕生し始めた新たな人種である。
炎(映画内ではピンク色の三角形で表現される)を自在に操ることができ、「もっと燃えたい」という意思の元様々なものを燃やす。
バーニッシュの能力は、実際の炎を火種に操るものから(ピザ屋の青年)、「マッドバーニッシュ」のリーダーであるリオや幹部のメイス、ゲーラのように炎生み出し、アーマーや武器等に変化させることができるものまでさまざまである。
バーニッシュはこの「発火能力」と、通常の人間ではありえない「再生能力」を持つため、大なり小なり、このように炎を扱うことができるわけだ。
ここで問題となるのは
発火・再生能力はどのようなメカニズムで出力されているのか?
ということである。
物語の後半では、この発火現象の原因が「プロメア」と呼ばれる異なる宇宙の「炎生命体」であり、このプロメアとのリンクにより一部の人間がバーニッシュへと変化することが判明する。
当初、バーニッシュの発火・再生能力は「突然変異」と説明されていたが、突然変異でこのような能力を得ることはかなり厳しく、また、このような突然変異が多数同時期に起こる可能性は限りなく低い。
つまり、発火・再生能力自体はプロメアが人間を突然変異させて得させた能力ではなく、プロメアの能力であるそれらをプロメアとリンクした人間が媒介している可能性が高いと思われる。
では、なぜプロメアとリンクしバーニッシュになる人間とならない人間がいるのだろうか。
突然変異によってリンクが可能となった可能性もあるが、発火能力の発現が同時期に起きていることを考えると遺伝子等の突然変異で説明するのは無理がある。
私は、このリンクに、「プロメアの意思」というものが大きく関与していると予想する。
② 強い能力者、リオとクレイの共通点
先に、バーニッシュであるリオとクレイの共通点について考えてみる。
上述のとおり、バーニッシュの能力の強さは様々であり、その中でもリオとクレイは他とは比較にならないほど強い力を持っている。
なぜ二人はプロメアとリンクし、かつ強大な力を得たのか。
この二人の共通点はなんだろうか。
私の感じた二人の共通点は、
理想の自分と現実の自分との差が大きく、その差に憤りを感じている
という点だ。
【リオの場合】
本作品ではガロがバーニッシュに対する差別的認識を改めるという点がよく取り上げられるが、一方で、迫害される側であるリオ自身も差別的認識を持っており、その認識が変化していくことがわかる作品でもある。
リオは、「バーニッシュは人を殺さない」という強いプライドを持っている。
この、バーニッシュ「は」人を殺さない、というのは、バーニッシュ以外の人間が殺しを犯したことを感じさせるセリフだ。
これはおそらく過去の経験から来たものだと考えられるが(リオの過去考察については収まりきらないので別記事に)、バーニッシュ当人であるリオ自身の差別感を表していると思われる。
リオは映画のなかで、バーニッシュが人間扱いされていないことに強い憤りを覚えていながらも、一方でバーニッシュは特別(命を大切にする高度な人間)だという感情を持っていた節がある。
それはこれまでの経験だけでなく、プロメアの声を他の人間よりも繊細に聞くことができたせいかもしれない。
そんなリオの理想はバーニッシュだけで静かに暮らすことであるわけだが、現状、バーニッシュの特別感をもたらす「燃やしたい」という意思を、テロ行為という方法でしか解消することしかできず、さらにそれがバーニッシュが排除すべき存在であるという認識を増大させ、人間扱いされないという事態を招き、バーニッシュたち自身の命を危険にさらしていた。
自分たちは非バーニッシュよりも倫理的で特別であるにもかかわらず、非人道的な扱いを受け多くの仲間が命を灰ににしていくという理想と現実の乖離は、リオを大きく苦しめていただろう。
リオにとって、選ばれた人間でありバーニッシュを救う英雄が理想の自分であるなら、バーニッシュを危険にさらすしかない不甲斐ない現状が現在の自分である。
【クレイの場合】
司令官である彼の優秀さから見て、クレイはバーニッシュになる前もおそらく真面目で優秀な人物だったと思われる(攻撃技が人類のことをとても考えている)。
肉体的にもストイックな鍛錬を積んでいることが予想される上、人類の存続に関して様々な可能性を検討していた点からも、自分に厳しく思慮が深い人物だと思われる。
彼にとって、そのような自分が自分の中にある「燃やしたい」という意思をコントールできずに人(ガロの家族)を殺めてしまったという事実は、ひどく屈辱的な出来事だったのではないだろうか。
映画内での彼の目的は人類を救うことであり、彼はそれに尽力し多くの人間に認められていた。
もともと人類貢献のような思想を持っていたのかもしれないが、ガロの事件以降頭角を現し始めたことから推測するに、炎を制御できずに失態を犯した不甲斐ない現実の自分を、ガロの崇める英雄という自分に変えるという願望があったのかもしれない。
意思を制御できずにガロの家族を殺したバーニッシュである自分と、ガロが崇める人類の英雄である自分。
彼が怒りを感じているシーンは、この理想と現実を見せつけられるガロとの絡みか、理想をガロとリオに打ち砕かれそうになった戦闘シーンであり、理想の自分と現実の自分との差の大きさが彼を苦しめていたように思う。
(ガロに対する想いはもう少し複雑なものもあるだろうが、ここでは解釈しきれないので別の記事にまとめたい)
同じバーニッシュでありながら、バーニッシュたちを救おうとしたリオとバーニッシュ以外の人間を救おうとしたクレイ。
「英雄」が理想である二人にとって、現実はあまりに残酷であり、理想と現実の大きな乖離が二人の心に大きな穴をあけていたと考えられる。
③ アイデンティティとプロメア
プロメアは燃やしたいという「意思」を持った異なる宇宙の生命体である。
つまり、バーニッシュには別人格(別の意思)が入る「心の隙間」が必要となるわけだ。
クレイとリオ、二人が持っている理想の自分と現在の自分のアイデンティティの乖離は、このプロメアの入る心の隙間を生み出したのではないだろうか。
冒頭のバーニッシュ化した人たちは、その多くがストレスを強く感じている描写があった。
ストレスとは、理想と現実との差が大きい場合に強く感じるものである。
このことは、ストレスを生むような心の隙間がバーニッシュ化に作用した可能性を示しているように思える。
この、アイデンティティの乖離がプロメアの意思が入り込む心の隙間を生み出した、という仮説を支持するもう一つの描写として、ガロの行動や認識の変化がある。
ガロは最初から「火消し」というアイデンティティを持った人物として物語の中で描かれている。
特に冒頭では、アイナに人命救助を任せて自分はバーニッシュの炎と対峙するなど、どちらかというと「人を助ける」というよりは「火を消す」という点に重きを置いていた。
これはおそらく「幼いころ炎が両親を殺した」という経験から来るものであり、ガロはある種「炎を消すこと」自体に自分の生きがいを見出していたのかもしれない。
この冒頭の戦闘シーンでは、ガロは猪突猛進さを持った一本気な青年のように感じさせられたわけだが、その後の火消し以外のシーンでは冷静さを持った青年であることがわかる。
戦闘後のピザ屋のシーンでは、頭に血が上った状態、つまり「理想とする状況と現実の状況の乖離」から怒りが生じても、ガロはクレイやリオのように怒りを持続させることはなく、頭を冷やしに行き、現状を冷静に受け入れる能力を持っていた。
つまり、彼は理想と現実の差を受け入れ、怒りで解決しようとしない心を持っており、理想と現実の差から生まれるストレスを解消する術を心得ていた(おそらくこれは両親の死後、大人の事情が蔓延る現実の世界を目の当たりにしたせいじゃないかと思うがそれはまた別の機会に考察したい)。
そのような性質もあり、中盤までは一貫して火消しとしてのアイデンティティを持っていたガロ。
そしてそれが揺らいでくるのが、「リオ」というバーニッシュが自分と同じような「人間」だということを知ってからである。
ガロはリオを知ってから自分の認識の間違いを認め、それによって真実を知っていく。
だがガロは、リオを知り、真実を知ってもなお、クレイとの戦闘シーン序盤までは「火消し」としてのアイデンティティを持っていた(火消しの口上やまといなど)。
しかしその後、ガロがリオを助けるシーンでは、ガロは預かっていた炎をリオに戻し(!)、リオを助けるわけだ。
もともとはリオの炎ではあるものの、主人であるリオの意思に関係なくガロが炎を移したとなると、それはガロが炎を操ったといえる。
「火消しの俺が火をつけちまった!」というセリフはつまり、火を消すことに執着することで確立していた「火消し」というガロのアイデンティティが、リオを知り、認識が変わったことで「命を救う」というものに変化したことを示しているのではないだろうか。
このアイデンティティの揺らぎ、もともとの理想の自分と現在の自分との解離は、プロメアとのリンクを可能とし、ガロは炎を操ることができたのだろう。
「burning(バーニッシュ火災からの) rescue(救出者)」として新米だったガロは、
「burning(炎、つまりプロメアの)rescue(救出)」を目的として、
「burning(燃やして)rescue(助ける)」という方法ですべての命を救う英雄となった。
ガロはリオやクレイを知り、自己のアイデンティティを変化させることで、本物のバーニングレスキューになったのだ。
まとめ
理想と現実の乖離は、大きければ大きいほどストレスとなる。
このストレスが大きいほどプロメアが入る「心の隙間」を生み出すことが可能となると考えられるわけであり、おそらくクレイとリオはこの乖離がとても大きかったのだろう。
しかし、ストレスは悪いものとして捕らわれがちだが、決して悪ではない。
理想と現実が離れていれば、人は成長しようとする。
異なる意見を聞き、現状を見直すことで、更なる改善点が生まれ、理想はよりよい理想へと変わっていくわけだ。
この理想へと少しずつ近づけていくことができれば、それは「成長」となる。
ガロのアイデンティティは「火消し」だった。しかしそのアイデンティティは、リオを知り、バーニッシュを知り、プロメアを知ることで(ガロは説明時寝てたけど笑)、生まれたさらなる理想へと向かい成長していったのだ。
本作品は差別を扱っているという見解もあり、多くの人が批評をしているが、私はこの物語を、自分と他人との違いを知り、その原因を知り、そして協力しあうことで平和を導くことができた物語だと受け取った。
プロメアが完全燃焼して、バーニッシュが能力を失って、という部分が問題ではない。
問題に向き合い、違うところもあれば同じところがあることを知ることが重要なのだ。
相手を知ることができれば、そこから理想が生まれ、改善点が生まれる。
物語の中で、ガロはリオを知り、クレイを知り、プロメアを知った。
そして「命を救うもの」として、リオを、クレイを、地球を、そしてプロメアを救った。
正直なところ、現実世界ではそううまくはいかないだろう。
相手を知れば違いが目立ち、衝突や問題も多く起こる。
映画も、ガロやリオの行動は少々短絡的であるし、ストーリーとして稚拙な部分も目立つ。
しかし、ときにはこれくらい勢いで動いたほうがうまくいくこともあるのかもしれない。
何も知らないままでは、本当の理想は生まれない。
すべては、相手を知ることから、始まるのではないだろうか。
以上、映画『プロメア』を自分勝手に考察・解釈してみました。
『プロメア』は、人それぞれ感じ方が変わってくる映画だと思います。
だからこそ、多くの人の意見を聞き、自分の認識を理想のものへと変えていけたらいいな、と思います。
それでは、また。
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